- 著者
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小埜 裕二
- 出版者
- 上越教育大学
- 雑誌
- 上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
- 巻号頁・発行日
- vol.27, pp.280-273, 2008
テクスト中の「悲嘆は痛まない」の一文の意義について考察し、「憂国」は、ニーチェ流の「悲嘆」の感情を通して<生の確証>がなされてきた従来の三島作品史の流れから、バタイユ流の「エロス」「苦痛」の感情を通して<存在の確証>がなされていく作品の流れを形作る起点となった作品であることを明らかにした。バタイユはエロティシズムを<肉体のエロティシズム><神聖なエロティシズム><心情のエロティシズム>の三種に分けたが、三島は「憂国」において、武山と麗子の性愛行為に<肉体のエロティシズム>を、武山の死に<神聖なエロティシズム>を、麗子の死に<心情のエロティシズム>をそれぞれ付与していることも明らかにした。