著者
古賀 正義
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.46-54, 2008-03-31

「学校が消える!」2008年の年明け、衝撃的な記事を目にした。読売新聞の調査(1月11日付)によれば、全国で今後数年間に一千校以上の公立小中学校が廃校になる見通しだという。急激な人口減少と補助金抑制の影響などで、東京都でも約50校(2.5%)が廃校になる勘定だ。教育機会の均等を実現してきた義務教育制度にあっても、社会変動の波は容赦なく地域社会を襲っている。学校選択制や中高一貫校など市場型改革の導入が進めば、一層、「生き残る学校」と「消え去る学校」とが出現する状況である。 「学校」を自明の教育機関とみなしてきた教育学者にとっても、学校とはいかなる特徴を持った教育の場で、そこで何が達成され、今後何を成し遂げることが可能なのか、いわば「学校力」(カリキュラム研究会編2006)を再度検証しなければならなくなっている。そうでなければ、教師や保護者、地域住民などを巻き込んで、学校に対して体感される不安やリスクは増大していく一方なのである。そもそも学校とは、不可思議な場である。教育学で、学校を念頭におかない研究はほとんどないし、教員養成にかかわらないことも少ない。そうでありながら、学校の内実に長けているのは現場教師であって、研究者はたいてい余所者として外側からその様子を眺め批評する立場にある。マクロレベルから教育政策や学校制度を講じることもできるし、ミクロレベルから授業実践や学級経営を論じることもできるが、学校の実像を客観的総体的に把握し切れているという実感は乏しい。 『教育学研究』を紐解いても、「学校」は学会シンポジウムのテーマに度々取り上げられてきた。「学校は子どもの危機にどう向き合うか」(1998年3月号)、「学びの空間としての学校再生」(1999年3月号)、「21世紀の学校像-規制緩和・分権化は学校をどう変えるか」(2002年3月号)など、教育病理の深刻化や教育政策の転換など、教育関係者の実感と研究者の思いが交錯する時、学校がたびたびディベートのフィールドとして選択された。今日なら、学力低下やペアレントクラシー、指導力不足、いじめ事件など、学校のガバナンスやコンプライアンスにかかわる諸問題が、個々の学校やさまざまな種別の学校、制度としての学校など、各層にもわたる「学校」について論議されることだろう。急激な改革と変化のなかで、問題言説の主題としての「学校」は隆盛であるのに、現実分析の対象としての「学校」は不十分。学校研究の10年は、こうしたねじれ状態と向き合い、その関係を現実的・臨床的にどのように再構築し、教育学の公共的使命を達成するかの試行錯誤の期間だったといえる。

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こんな論文どうですか? 学校研究の現在(<連載>教育の実践研究の現在 第4回)(古賀 正義),2008 http://t.co/q6VAQNwl

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