著者
加野 芳正 矢野 智司 湯川 嘉津美 鳶野 克己 村上 光朗 古賀 正義 越智 康詞 松田 恵示 毛利 猛 櫻井 佳樹 西本 佳代
出版者
香川大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

マナーに関する理論研究と実証的研究を平行して進めてきた。その結果、以下のような知見が得られた。(1)法律や道徳と比較したときにマナーは独自の領域を構成している。(2)マナー(あるいは礼儀作法)は人と人を結びつけ、公共的な社会に参加していく上で不可欠なものである。(3)マナーは文明化や社会の近代化とともに私たちの社会に出現してきた。(4)日常生活におけるマナーとしては挨拶を重視する人が多い、また、家庭でのマナー教育に焦点を絞れば、食事の場面を重視する人が多い。(5)どのようなマナーが求められるかは、文化によって規定されている。
著者
古賀 正義
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.90-108, 2009-06-30 (Released:2010-08-01)
参考文献数
41

従来インタビュー調査は,構造化された質問によって「本音」を引き出す作業と理解されやすかった.しかし,近年の構築主義的調査観では,インタビューは聞き手と語り手の共同行為であり,「語りうるもの」をめぐるネゴシエーションの政治力学的な産物であるとされる.ICレコーダーなどの利用による音声データの再現可能性の向上は,「出来事」としてのインタビュー実践をきめ細やかに理解することを可能にしている.これに伴って,筋書きを用意した物語型の聞取りから,「声」と「音」(ここでは,互いの発話行為と収集される状況内の音声要素)を,インタビュー状況に沿って収集するデータベース型の分析が必要とされる.「インタビューのエスノグラフィー」が求められるのは,そのためである.データの内在的分析は,「ストーリー」が制作される聞き手と語り手の多元的な関係性に注目させ,他方,1つの立場から回答者の「声」を読み込む問題性を指摘する.調査者に解釈される「物語世界」を重層的に構築するには,インタビューにおける「声」の濃密さと「音」の収集との相互連関を理解し,回答者の多声性を読み解くスパイラルな実践を試みる必要がある.進路多様校卒業生の聞取り調査から,「声」と「音」を丁寧に読み込むことで,ステレオタイプな卒業生イメージが溶解し彼らの生活世界と接合していく局面を提示して,インタビューデータの飽和的で重層的な理解の必要性を強調する.
著者
古賀 正義
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.47-67, 2015-05-29 (Released:2016-07-19)
参考文献数
36
被引用文献数
1 1

高校中退者がワーキングプアになりやすいことは,多くの研究が実証するところである。排除型社会が進展する今日の日本社会では,中退者が社会参加していく包摂の道筋は容易でなく,将来への「液状不安」を訴える事例さえ存在する。そこで,都立高校中退者の退学後の移行に焦点化した悉皆調査を実施した。 その結果によると,①中退理由の中心には,学校ハビトゥスとしての「生活リズム」の乱れがあげられ,自己の未達成による中退という理解が強い。②ひとり親家庭が多く,かつ就学の相談・援助的行動や文化資本が欠如している者が多い。③中退後に何らかの学習・就学活動に向かう者は半数におよび,学校に復帰した者も3割に達する。他方,非正規の単純労働となりやすい就労行動を8割以上の者が経験している。移行を模索する期間が2年ほどを経て平均6か月もある。④しかしながら,高校タイプによって違いがあるが,概して学習指向が減退し就労指向が急速に強まる。⑤リスクへの一定の不安はあるものの,全体に支援機関の利用度は非常に低く,直接的な経済的援助・無償による学習や職能開発などの支援を求めている。 以上,在学した高校や家庭等の資源や経験知に依拠した中退者の進路選択が行われやすいものの,それを活動に移すための「ケイパビリティ」(将来的な移行可能性への媒介となる環境)が重要になるとみられる。相談・支援できる他者との関係づくりを介して選択のチャンスを活かせる環境作りが求められる。
著者
加野 芳正 吉田 文 飯田 浩之 米澤 彰純 古賀 正義 堤 孝晃
出版者
香川大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究課題は4つのパートからなっていて、それを研究代表者(加野芳正)と4人の研究者の共同研究として進めてきた。それらの作業は、(1)学会の歴史に関する資料の収集と整理、そして分析、(2)日本教育社会学会の先輩会員(教育社会学第2世代、第3世代)へのインタビュー調査、(3)教育社会学の学術的課題(学問的課題、現代的的課題)による日本語論文集=全2巻の刊行、(4)日本の教育社会学の学問的水準を広く世界に発信することを目的とした英語論文集の刊行、である。(1)については資料がほぼそろい、8月下旬までに報告書として刊行する予定である。(2)については、18人に対するインタビューを完了するとともに読み物風に整理して、『日本の教育社会学と18人の軌跡-オーラルヒストリーによる語り』東洋館出版社、2018年8月刊行予定である。原稿はほぼ出そろっている。(3)については『教育社会学のフロンティア1-学問としての展開と課題』(日本教育社会学会編、本田由紀、中村髙康責任編集、2017年10月)、『教育社会学のフロンティア2-変容する社会と教育のゆくえ』(日本教育社会学会編、稲垣恭子、内田良責任編集、2018年3月)として、いずれも岩波書店から刊行した。4)英語論文集については、Japan’s Education in the Global Age-Sociological Reflection and Future Direction-(Akiyoshi Yonezawaほか責任編集)として今年中には刊行される予定である。すでにすべての審査を終え、原稿を出版社であるSpringer に送付している。本研究は順調に進展しているが、図書の刊行に向けての調整が必要なため、研究期間を1年間延長することにした。また、研究成果は『教育社会学事典』(丸善、2018年1月刊行)にも活用されている。
著者
古賀 正義
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.39-57, 2004-05-20 (Released:2011-03-18)
参考文献数
48
被引用文献数
7

This paper examines the importance of ethnography using the theory of constructionism, especially toward the understanding and improvement of educationalproblems. Conventionally, ethnography involved the researcher understandinga fact subjectively, and the method of applying an analytic diagram andunderstanding. Both methods adopted the ontological perspective of observationand investigation. However, researchers can learn facts interpreted by thepeople of a community and through the stories that they retell. This method iscalled the ethnography of constructionism. The characteristic of this method isthat it is not concerned over whether something is a fact or not, but rather triesto grasp correctly what people of the local place tell. In other words, theinvestigation is the ethnography of a tale, and since the aim of investigation isto discover facts, the task becomes understanding a tale. The researcher is apartner in a dialog, and the research serves as the practice of the dialog.Is there no method to employ such ethnography effectively? Until now, research following the principle of construction has analyzed public discourseusing public records. However, the ethnography of trouble has recently beenpresented. Trouble indicates problems for the people of the local place, or thingsthat are topics for them. For example, students and teachers understand thatthere are problems in schools today. How do they cope with these troubles inschool education? When teachers and students are interviewed, their understandingsdiffer depending on their positions. In particular, it is easy for those inpositions of power to spread understanding on educational problems in a waythat are beneficial to them.While those with a strong position can express a strong dominant narrativewhich creates trust in people, the narrative of those in a weak position is rarelyheard by many people. The former is a dominant narrative and the latter is analternative narrative. This relation is called the politics of a narrative. The taskof the researcher is to listen carefully to the tale of those in a weak position, compile the tale, and transmit it to many people through a report. In this way, the researcher adjusts the dynamics of the narrative. This perspective ofresearch practice is called “polyvocality.”As a case study, the features of the narrative of a dropout student and otherstudents are analyzed, and compared with those of the teacher's narrative. Suchresearch uses the ethnography of constructionism and is considered to be a “clinical method”.
著者
古賀 正義
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育學研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.75, no.1, pp.46-54, 2008-03-31

「学校が消える!」2008年の年明け、衝撃的な記事を目にした。読売新聞の調査(1月11日付)によれば、全国で今後数年間に一千校以上の公立小中学校が廃校になる見通しだという。急激な人口減少と補助金抑制の影響などで、東京都でも約50校(2.5%)が廃校になる勘定だ。教育機会の均等を実現してきた義務教育制度にあっても、社会変動の波は容赦なく地域社会を襲っている。学校選択制や中高一貫校など市場型改革の導入が進めば、一層、「生き残る学校」と「消え去る学校」とが出現する状況である。 「学校」を自明の教育機関とみなしてきた教育学者にとっても、学校とはいかなる特徴を持った教育の場で、そこで何が達成され、今後何を成し遂げることが可能なのか、いわば「学校力」(カリキュラム研究会編2006)を再度検証しなければならなくなっている。そうでなければ、教師や保護者、地域住民などを巻き込んで、学校に対して体感される不安やリスクは増大していく一方なのである。そもそも学校とは、不可思議な場である。教育学で、学校を念頭におかない研究はほとんどないし、教員養成にかかわらないことも少ない。そうでありながら、学校の内実に長けているのは現場教師であって、研究者はたいてい余所者として外側からその様子を眺め批評する立場にある。マクロレベルから教育政策や学校制度を講じることもできるし、ミクロレベルから授業実践や学級経営を論じることもできるが、学校の実像を客観的総体的に把握し切れているという実感は乏しい。 『教育学研究』を紐解いても、「学校」は学会シンポジウムのテーマに度々取り上げられてきた。「学校は子どもの危機にどう向き合うか」(1998年3月号)、「学びの空間としての学校再生」(1999年3月号)、「21世紀の学校像-規制緩和・分権化は学校をどう変えるか」(2002年3月号)など、教育病理の深刻化や教育政策の転換など、教育関係者の実感と研究者の思いが交錯する時、学校がたびたびディベートのフィールドとして選択された。今日なら、学力低下やペアレントクラシー、指導力不足、いじめ事件など、学校のガバナンスやコンプライアンスにかかわる諸問題が、個々の学校やさまざまな種別の学校、制度としての学校など、各層にもわたる「学校」について論議されることだろう。急激な改革と変化のなかで、問題言説の主題としての「学校」は隆盛であるのに、現実分析の対象としての「学校」は不十分。学校研究の10年は、こうしたねじれ状態と向き合い、その関係を現実的・臨床的にどのように再構築し、教育学の公共的使命を達成するかの試行錯誤の期間だったといえる。
著者
片瀬 一男 秋永 雄一 古賀 正義 木村 邦博
出版者
東北学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

2003年11月から12月にかけて「教育と社会に対する高校生の意識:第5次調査」を実施した。そして、このデータをもとに分析を行い、2005年3月に報告書を作成した。報告書では、次のようなテーマをもとに、分析を行った。1.第1に、高校生の進路志望(教育・職業アスピレーション)や教育達成など教育をめぐる高校生の意識や実態をとりあげ、それがどのような要因に規定されているのか分析した。この分析においては、高校生の出身階層となる親の地位が、彼らの進路志望や教育達成に与える影響、さらには父母の結婚類型が子どもに及ぼす影響などが明らかになった。またフリーターの問題も、進路意識や規範意識(校則意識)との関連で扱った。くわえて、「アノミー型アスピレーション」という現代の高校生に特有の進路志望のあり方についても、それが形成されるメカニズムが明らかなった。2.第2に、高校生が現代社会をどのように認知し、また評価しているのかについて検討を加えた。ここでは、不公平感や学歴社会イメージ、性別役割意識といった高校生の社会意識が、家族や学校においてどのように形成されているのか分析を行った。3.第3に、この17年間の宮城県の高校教育の変容についても触れた。そして、いくつかの高校を事例として選んで、いわゆる「進路多様高」の成立経過や、仙台における女子教育の変容について時系列的な分析を行った。