著者
依田 啓二
出版者
公益社団法人日本航海学会
雑誌
航海 (ISSN:0450660X)
巻号頁・発行日
no.26, pp.68-81, 1967-09-25

1.1967年3,月18日(土)午前9時11分,トリー・キャニオン号はシリー島とランズ・エンドとの問にある「七つ岩」の暗礁に乗り上げた。同船はクェートから原油117,000トンを積んでミルフォード・ヘブン港へ向う途中,およそ17ノットの速力で航行中に座礁したものと思われる。2.2時間経たないうちに,英国海軍のヘリコプターが現場に到着した。明らかに史上前例のない大規模な油による汚染のおそれが認められた。英国海軍の艦艇は,流出した油を除去するため,その日の夕刻から洗剤を散布する作業を開始した。そして後刻チャーターされた民間船もこれに加わつた。又沿岸地区でも海岸の汚染に対処するため,大規模な準備に着手した。3.サルベージ作業員(ワイズミユラー社)が18日中に同船に到着したが,初めの2,3日は,その海域はうねりが大きく,検査に必要な器材を運ぶために船舶を横付けすることは困難であつた。3月20日(月),海軍の救難部長(Chief Salvage Officer)が同船のサルベージ作業員に加わつたとき,多数の原油タンクが破れ,約30,000トンの油が海上に流出していることが明らかとなつた。4.海軍省の代表は,3月20日に初めて同船に赴いて以来,あらゆる可能な手を打つてきた。即ち,同船のまわりの暗礁の綿密な水路調査,ヘリコプターによるサルベージ船から同船への重量器材の運搬,サルベージ作業員の継続的な輸送等を行なつた。3月23日(木),風は南西に変り,その翌日には状況が悪化した。3月25日(土)には,油はコーンウォール州の海岸に漂着しはじめた。ペランポースからリザート岬にかけての100マイルの海岸線がその影響を受けた。3月26日(日)の夕方には,外洋の荒波と強風のために舶体が折れ,30,000トン以上もの原油が新たに海上に流れ出した。3月27日(月)に至り,英国政府は船体そのもの或いはその一部でも引き出すことによつて油の汚染を最小限に食い止める望みを放棄せざるを得ないと決定した。そしてその翌日,船舶と航空機に対し警告を発し"七つ岩"の灯船を移動させたのち,トリー・キャニオン号は船内に残つている油に火をつけるために,英国空海軍機によつて爆撃された。5.この文書の以下の節には,英国政府の立揚においてとられた行動が記述されているとともに,同政府がトリー・\キャニオン号による油濁の引続く脅威に如何に対処し,この災害によつて浮き彫りにされた一般的な問題を如何に処理しようとしているかを述べたものである。

言及状況

Twitter (2 users, 3 posts, 0 favorites)

こんな論文どうですか? トリー・キャニオン号の座礁事件について(依田 啓二),1967 https://t.co/N25YEhBf3D 1.1967年3,月18日(土)午前9時11分,トリー…
CiNii 論文 -  トリー・キャニオン号の座礁事件について http://t.co/jGXbwCBuK4
こんな論文どうですか? トリー・キャニオン号の座礁事件について(依田 啓二),1967 http://t.co/CxMSV9nK8m 1.…

収集済み URL リスト