- 著者
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清水 善和
- 出版者
- 駒澤大学
- 雑誌
- 駒澤地理 (ISSN:0454241X)
- 巻号頁・発行日
- vol.29, pp.9-58, 1993-03
- 被引用文献数
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5
(1)笠原諸島智島列島の聟島,媒島,嫁島,北之島の植生の現況とその特徴を明らかにし,あわせて野生化ヤギが森林の動態にどのような影響を与えているか解析するたあに調査を行った。(2)調査は1990年7月に行われた。森林植生を対象に聟島の19調査区と媒島の5調査区において,100本法による植生調査を行った。各植生型の代表的な林分では,さらに詳細な毎木調査を行った。草地植生については,聟島の9調査区と北之島の10調査区において出現種の被度・群度を求めた。(3)聟島列島の森林植生をモクタチバナ型低木林,シマイスノキ型低木林,タコノキ・ビロウ型低木林の3型に区分し,聟島と媒島の植生図を作成した。モクタチバナ型:モクタチバナとヤロードが優占する低木林で,媒島ではウドノキの大径木が混生する。聟島列島の残存林のほとんどを占める。シマイスノキ型:シマイスノキといくつかの随伴種の出現で特徴づけられる低木林。聟島に小林分がわずかに残るのみ。タコノキ・ビロウ型:ほとんどタコノキまたはオガサワラビロウの純林状をなす低木林。各地の乾燥した立地に分布する。(4)父島や母島の森林植生との比較から,モクタチバナ型,シマイスノキ型,タコノキ・ビロウ型低木林は,それぞれ清水(1989)のシマホルトノキ型高木林,シマイスノキ型低木林,シマシャリンバイ型低木林に対応すると考えられる。ただし,モクタチバナ型低木林は,組成的には父島や母島の湿性高木林に類似しながら,立地条件や林分構造は乾性低木林にちかいという特異な性格を有している。(5)聟島の面積の約80%,媒島の約90%は草地あるいは裸地と化している。とくに,媒島では赤色土の流亡が著しい。嫁島と北之島は全島が草地となっている。聟島ではオキナワミチシバ・フタシベネズミノオ群落,媒島ではコウライシバ群落,嫁島ではスズメノヒエ・シマチカラシバ群落,北之島ではソナレシバ群落がそれぞれ優占している。北之島には小笠原最大のオガサワラアザミ群落がある。(6)智島と媒島の残存森林は,野生化ヤギの食害のため,低木類と林床の樹木の実生・稚樹個体をまったく欠いている。林床の草本類もエダウチチジミザサが散生するのみで非常に貧弱である。(7)野生化ヤギの影響による森林後退のメカニズムは次のように推定される:ヤギの食害により森林は次世代個体を欠く;森林に林冠ギャップができると,これを埋めることができない;ギャップが多くなると林内の乾燥化が進み樹木が弱体化する;常襲する台風の強風により林縁やギャップ周辺の個体の崩壊が起こり疎開林となる;周囲の草地より疎開林の林床に草本が侵入する;最後まで残るオガサワラビロウの孤立木が枯死して完全な草地と化す;草地面積が増えると島全体がいっそう乾燥化し,このプロセスを加速する。(8)空中写真より聟島の草地に点在するオガサワラビロウの孤立木を判読して植生図上に記入し,草地化する以前の森林の広がりを求めたところ,ほぼ全域が森林で覆われていたことが推定された。(9)小笠原島庁(1914),東京営林局(1939),豊田(1981),市河(1992)による1914年,1935年,1968年,1978年,1991年の植生図を並べることにより聟島と媒島の植生の変遷がうかがわれる:かつてこれらの島々はほぼ全域が森林で覆われていた;戦前の開拓(山火事を含む)により森林の3分の1から半分程度が破壊された;終戦から返還までの20年余の空白期に野生化ヤギの影響でさらに大幅に森林が後退し,島の大部分が草地化した;返還後からは土壌の侵食が顕在化し,とくに最近10年間はいっそう激しくなった。返還後の小笠原の気候の乾燥化がこの変化を促進している可能性が高い。(10)土壌侵食にみられるように,野生化ヤギの環境に対する影響は限界にきておりこれ以上放置できない。緊急にヤギの駆除や積極的な緑化等の措置をとる必要がある。