- 著者
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康上 賢淑
- 出版者
- 鹿児島国際大学
- 雑誌
- 鹿児島経済論集 (ISSN:13460226)
- 巻号頁・発行日
- vol.48, no.1, pp.145-148, 2008-03
周知のように,日本の映画は1895年松竹の創業から始まり,すでに100年以上の歴史を誇っている。それから60年後の1958年,映画の年間観客数はのべ11億2,745万2千人をもって,業界の絶頂を迎えた。1960年代に入ると,危機と変革に突入し,70年代からは多様化と模索を通じて今日に至っている。日本経済の高度成長と停滞,テレビドラマなどの上昇と共に,日本映画業界はまさに波瀾万丈の「道」を辿るようになり,現在は21世紀という再生の局面に立ち向っている。私が最初に日本映画に接したのは,ちょうど大学生の時代であった。1970年代後半から1980年代初頭にかけて,『君と死』(中村登監督,1971年),『人間の証明』(佐藤純弥監督,1977年),『砂の器』(野村芳太郎監督,1974年),高倉健主演作の『君よ憤怒の河を渉れ』,『遥かなる山の呼び声』(山田洋次監督,1980年),『愛と死』などが,続々と中国の大陸に登場し,日本映画のブームを引き起こした。とりわけ,同時代の中国観客は日本の文化や価値観に大きな共鳴を持ち,日本映画はカタ田舎までに普及されていた。例えば,山口百恵上映した映画とともに,彼女をモデルにしたファッションが大ヒットした。多くの女子大学生も,その時ちょうど恋愛時期に入り,山口百恵を理想的モデルとして慕っていた。このように日本映画は,私にとっても恋愛の価値観の形成に大きく左右するほどの影響力を持ったのである。ところで,日本の映画と言っても,範囲が広すぎて一言ではとうてい纏められないが,それにも関わらず,本報告で筆者は「虎をも恐れぬ子牛」のように,大胆に素人の視角から,日本映画における東アジアの文化と伝統を,1.仁侠・「ヤクザ」,2.相撲,3.男女・家族・隣人関係という「三本柱」からその共通点を考察したい。