著者
中嶋 眞澄
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
鹿児島経済論集 (ISSN:13460226)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.147-164, 2006-12

The following asymptotic formula of Euler's Gamma function; [numerical formula] is well-known: [numerical formula] But there seems to be no rigorous proof of it using the saddle point method as far as the author knows, although there are some rigorous proofs using Euler-Maclaurin's summation formula or Poisson's summation formula and so on. In this short paper we will give a rigorous proof of it using the saddle point method as well as a rigorous proof of [numerical formula] by using the same method.
著者
康上 賢淑
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
鹿児島経済論集 (ISSN:13460226)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.145-148, 2008-03

周知のように,日本の映画は1895年松竹の創業から始まり,すでに100年以上の歴史を誇っている。それから60年後の1958年,映画の年間観客数はのべ11億2,745万2千人をもって,業界の絶頂を迎えた。1960年代に入ると,危機と変革に突入し,70年代からは多様化と模索を通じて今日に至っている。日本経済の高度成長と停滞,テレビドラマなどの上昇と共に,日本映画業界はまさに波瀾万丈の「道」を辿るようになり,現在は21世紀という再生の局面に立ち向っている。私が最初に日本映画に接したのは,ちょうど大学生の時代であった。1970年代後半から1980年代初頭にかけて,『君と死』(中村登監督,1971年),『人間の証明』(佐藤純弥監督,1977年),『砂の器』(野村芳太郎監督,1974年),高倉健主演作の『君よ憤怒の河を渉れ』,『遥かなる山の呼び声』(山田洋次監督,1980年),『愛と死』などが,続々と中国の大陸に登場し,日本映画のブームを引き起こした。とりわけ,同時代の中国観客は日本の文化や価値観に大きな共鳴を持ち,日本映画はカタ田舎までに普及されていた。例えば,山口百恵上映した映画とともに,彼女をモデルにしたファッションが大ヒットした。多くの女子大学生も,その時ちょうど恋愛時期に入り,山口百恵を理想的モデルとして慕っていた。このように日本映画は,私にとっても恋愛の価値観の形成に大きく左右するほどの影響力を持ったのである。ところで,日本の映画と言っても,範囲が広すぎて一言ではとうてい纏められないが,それにも関わらず,本報告で筆者は「虎をも恐れぬ子牛」のように,大胆に素人の視角から,日本映画における東アジアの文化と伝統を,1.仁侠・「ヤクザ」,2.相撲,3.男女・家族・隣人関係という「三本柱」からその共通点を考察したい。
著者
中嶋 眞澄
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
鹿児島経済論集 (ISSN:13460226)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.305-315, 2006-03

We derive here the functional equation of the Hurwitz zeta-function by direct use of Poisson's summation formula without Mellin transform which is implicitly suggested in the famous book by A. Zygmund [Z] or in the paper of H. Weyl of 1917 [W].
著者
中嶋 眞澄
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
鹿児島経済論集 (ISSN:13460226)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.1-5, 2004-06-20

A simple proof of the strong law of large numbers is given without using Kolmogorov's inequality, Borel-Cantelli's theorem, the existence of the fourth moments of the random variables and so on.
著者
奥平 敦也
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
鹿児島経済論集 (ISSN:13460226)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.43-75, 2008-03

Linux2.6のNFSroot機能を利用してディスクレスクライアントを作成した。クライアントの起動はフロッピーディスクから行う。LILOで起動する。クライアントは/usrと/optと/homeを共有するという通常の設定である。ログインの管理と/etc/hostsの共有のためにNISを利用し,時刻同期のためにNTPを利用した。ネットワークパラメーターはLILOの設定ファイルで与えている。ブートスクリプトは少し修正が必要である。ディストリビューターは小さい構成もサポートして欲しい。クライアントを作成するのにはあまり手間はかからない。我々はSUSE9.2ベースのシステムをIUKで教育目的で3年間運用した。XEON 3.40GHz,2GiBメモリーの通常のNFS(とNIS)サーバーと100Mbpsのネットワークで,クライアント(Pentium4の3GHz,500MiBメモリー)を20〜30台は特に支障無く運用できることがわかった。運用に必要なマンパワーは通常のディスクのあるクライアントに比べて少なくて済む。また,openSUSE 10.3に基づくクライアントをこの春から運用する予定である。事前の性能テストによると,このシステムのボトルネックはNFSサーバーのディスクまわりの性能である。Linux 2.6のNFSroot機能を利用したディスクレスクライアントは,サーバーとネットワークが低性能でないかぎり,大学教育での使用に実用的である。
著者
中村 隆之
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
鹿児島経済論集 (ISSN:13460226)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.99-123, 2008-03

アメリカの教育財政制度は,財政民主主義の象徴である。自分の属する身近な自治体が,どれだけの税を課し,何を提供するかを自らの手で決定する。価値あるサービスを求めるならば,その分だけ税を負担しなければならない。従って地域の多様なニーズについて,身近で切実な議論が必須である。地方自治,なかでも学校区の教育自治は,民主主義の実践の場であると言われてきた。現在ではその理念型から離れ,各学校区の財政的な独立性は失われつつあるとはいえ,それは自治の精神と伝統を持っている。アメリカの隣国カナダにおいても,小学校から高校までの教育において学校区単位の自治が行われている。カナダでは,教育は各州の管轄である。州の中にいくつもの学校区があり,それぞれに教育委員会(School Board)が設けられ,その理事(trustee)は選挙によって選ばれる。学校区の中にいくつかの学校があり,各学校に保護者・生徒・教員・地域代表などによって構成される学校協議会(school council)が設けられている。カナダの教育自治はこの三層構造によって成り立っている。1980年代以降,カナダにおいて,教育自治のあり方は大きく変化してきた。学校区単位の独立性は薄れ,財政的な権限が上位レベル(=州)に集中する一方で,学校運営に関する決定がより下位のレベル(=学校協議会)に分権化されるようになった。上位から下位に向かって財政的な付与がある一方で,下位は上位に対してアカウンタビリティ(行動の成果を目にみえる形で示す責任)が求められるようになった。この集権化と分権化の両方向を含んだ変化は,1980年代から,程度と進度の差はあれ,西欧先進各国に共通で見られる新自由主義(ネオ・リベラリズム)的改革の特徴であると,一応は整理できる。だが,カナダにおける近年の一連の教育制度改革は,効率性・平等・民主主義という難しい三つの課題に挑戦した複雑な歴史であり,それ自体考察に値するものである。カナダの教育制度は各州で異なるため,カナダ一般を論ずることはできない。そこで,最大の州であるオンタリオ州を取り上げることにする。オンタリオ州は,カナダ全体の人口4割弱である1200万人を擁し,人種,民族,宗教の違い,所得格差,地域格差などあらゆる平等にかかわる問題が存在する。また,度重なる政権交代があり,制度が大きく揺れ動いた。このような観点から,オンタリオ州は,制度の変遷を辿る意味で格好の材料を提供するのである。以下,第一に,オンタリオ州の教育行政および教育財政の現状について,制度と財政の数値データを示すことで概略を説明する。第二に,オンタリオ州の教育財政制度の歴史を振り返る。教育財政制度の歴史はオンタリオ州の政権交代の歴史と密接にかかわっているため,それも必要な限りあわせて説明する。とりわけ重要なのは1995年から2003年までの進歩保守党政権の政策と,その後,現在まで政権にある自由党政権の政策である。最後に,オンタリオ州の経験が,今後の財政民主主義と財政調達制度について示唆することを述べる。