- 著者
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滝野 哲郎
- 出版者
- 大阪府立大学
- 雑誌
- 言語文化学研究. 英米言語文化編 (ISSN:18805922)
- 巻号頁・発行日
- vol.3, pp.15-27, 2008-03
タバコ・プランターが台頭していたヴァージニア植民地において、18世紀初頭から約30年間、誰にもまして富を蓄積し強い政治権力を握っていたのが、ロバート・カーター(1663-1732)である。当時、彼は"キング"・カーターと呼ばれていた。カーターは、若くして、莫大な遺産を手に入れた。父ジョン・カーターは、1640年ごろにイギリスからヴァージニアに移り住み、土地を獲得して財を成し、植民地政治にもかかわって、カーター家の地歩を固めた。長男ジョンがその資産の多くを引き継いだが、1690年に他界してしまったため、次男であったロバートがその残された財産を受け継ぐことになった。ロバート・カーターは、この遺産をもとにして精力的に土地を取得し、プランテーションを拡大し、急速に収益を増やしていった。地域社会では、治安判事、教区委員、民兵隊大佐、代議員を務め、植民地政治においては32年間にわたって参議会の一員、のちにその議長となり、イギリス本国からの総督が1年あまり不在となったときには総督代理として植民地の統治にもあたったのである。カーターが屋敷を構えていたのは、植民地の首都ウィリアムズバーグから北東50キロにあるランカスター郡コロトマンである。父親が1650年ごろに移り住んだこの地は、カーターが生まれ育ち、若い頃に渡英した6年間のあと、晩年まで暮らしたところである。ここで彼は、2度結婚し、多くの子どもを育て上げた。またこの場所には、タバコを栽培する広大なプランテーションがあって、多数の奴隷が労働力として使われていた。コロトマンで暮らすカーターの様子について知る手がかりとなるものは、当時彼が書き送った数多くの書簡である。現存しているもののほとんどは1720年代以降のもので、そこには60歳代の頃のカーターが、家族・使用人・奴隷とかかわりながら暮らしている様子が記されている。カーターは、妻や子どもだけでなく、コロトマンで生活する使用人や奴隷すべてを含めて「自分の家族」という。彼は、コロトマンの主人としてこの「大きな家族」の「世話」をしていたのである。小論では、ヴァージニアのプランターとして富と権力を極め"キング"と呼ばれたカーターが、コロトマンでいかに「家族」の「世話」をしていたかについて1720年代の書簡を中心に考察してみたい。