- 著者
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藪内 聡子
- 出版者
- 日本印度学仏教学会
- 雑誌
- 印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
- 巻号頁・発行日
- vol.56, no.3, pp.1202-1207, 2008-03-25
アヌラーダプラ時代後期,Mahjnda V(982-1029)の治世下においてスリランカ北部はチョーラの侵略によりその占領下に入ったが,Vijayabahu I(1055-1110)はチョーラ軍を駆逐し,ポロンナルワから即位してシーハラ政権を奪回した.史書Culavamsaによれば,チョーラの侵略時には寺院が主たる略奪の対象となり,Vijyabahu Iはこの戦いにおいてダミラ人を根絶したと伝承されるが,この伝承に反してポロンナルワ時代以降もダミラ人は島内に残留していたことが種々の碑文の記録により確認される.また首都ポロンナルワにおいて,ポロンナルワ時代のものと推定される神像,南インド様式の天祠の痕跡も発掘され,ダミラ人との激しい戦闘ののちにも,ダミラ人の宗教に関してシーハラ王は寛容的であったとみられる.シーハラ王Vijayabahu Iとチョーラとの戦闘は,チョーラ軍との戦いであり,民族としてのダミラ人に対する戦いではなかったといえよう.スリランカの王は,仏教を守護し,かつ絶対に勝利をおさめる英雄たるシーハラ人でなければならないという編纂者の意図のために,ダミラ人に対するシーハラ人の優位性に関する誇張表現が史書には存在する可能性に留意すべきである.