- 著者
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西川 智
- 出版者
- 地域安全学会
- 雑誌
- 地域安全学会論文報告集
- 巻号頁・発行日
- no.6, pp.261-268, 1996-11
阪神・淡路大震災に対しては、広く世界の71か国2国際機関から緊急援助の申出があり、国連人道問題局に通報があったものだけでも44か国政府ほか多数のNGOの緊急援助を日本は受け入れた。これらの緊急援助活動や物資の提供は、当時の日本のマスコミに大きくとりあげられ、いわゆる「美談」も数多く報じられた。しかしながら、これらの緊急援助が実際に被災者に役立ったかについては、これまでほとんど検証されていない。本稿では、筆者が国連人道問題局(DHA)災害救済調整部において、阪神・淡路大震災への国際緊急援助の担当官として地震発生直後から3週間の連絡・調整業務を行い、その後、神戸においてこれらの国際緊急援助について実地調査を行った結果に基づいて、今回の国際救援活動の問題点と教訓について報告する。この地震は、世界のマスメデイアの関心を引き付ける要素を全て有していた。有名な国日本での大都市神戸での衝撃的な地震、世界の主要なマスコミは、最も象徴的な被災現場の映像と被災者へのインタビューで拾った最も悲劇的な実話を選択し全世界に配信した。人的被害についての日本の発表方法も、その慣習を知らない海外のマスコミと視聴者に大きな誤解を与えた。神戸に入った国際NGOの多くは、この誤解を前提に現地入りを決定し、現実が余りに違うことに戸惑った。スイスとフランス政府から捜索犬が派遣されたが、その能力を発揮することはできず、遺体を発見するにとどまった。被災地・被災者にとって何が最も有効かを考えると、これらの国からの捜索救助チームの到着時期からして、別の形態の援助が有効であった。被災地の医療ニーズは、地震直後から1週間の間に劇的に変化した。海外からの医療チームが国際マスメデイアで報道された被災地のイメ一ジで救援活動に従事しようとしても、ニーズにマッチした活動は困難であった。今後、日本で大災害が発生することをも想定して、今回の経験に鑑み各国の支援の申し出に対して、それをいかに有益なものに誘導するかといった、準備が必要である。