- 著者
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大河内 泰樹
- 出版者
- 一橋大学
- 雑誌
- 一橋社会科学 (ISSN:18814956)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, pp.217-241, 2008-06
ハーバーマスは六八年の「認識と関心」と題された論文と単著で、カント及びドイツ観念論から取り入れた「関心」の概念を用いて、イデオロギー批判としての認識論を展開した。そこでは、三〇年代のホルクハイマーの議論に依拠しながら、理論は特殊な関心によって導かれているとし、技術的関心が経験的分析的科学、実践的関心が歴史的解釈的科学を基礎付けていること、そして解放的関心に基づく自己反省によって批判的科学がもたらされることを主張していた。ハーバーマスは後に認識論による批判理論の基礎付けというこの路線を放棄することになるが、彼がまだこの段階で人類の類的な発展としてのヘーゲル/マルクス的発想を保持していることを見ることができる。しかし他方でハーバーマスが「批判理論」の継承者とみなされるきっかけとなったこの著作においてすでに、彼が狭いと考えていたホルクハイマー/アドルノらの理性概念を乗り越えようとしているのも明らかである。本稿では、ハーバーマスがこれらの著作で取り上げる「関心」概念が、カントおよびその後のドイツ観念論においていかに位置づけられ、ドイツ観念論そのものの展開にどのような意義を持っていたのかを再検討する。これを通じて、「関心」の概念がそもそもドイツ観念論では理性に対する懐疑という問題系において導入されているにもかかわらず、ハーバーマスが意図的に理性批判としてのこの概念のポテンシャルを切り詰め、積極的な理性概念を展開する戦略をとっていることを明らかにする。