著者
中河 督裕
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学総合研究所紀要 (ISSN:13405942)
巻号頁・発行日
vol.2008, no.1, pp.19-36, 2008-12-25

今日「古都京都」ということばに違和感を持つ人はいないだろう。京都の代名詞になった感のある「古都」ということばは、しかし、いつ使われるようになり、どのように定着していったのか。近代の小学校国語教科書の教材文と京都内外の出版物の書名にその出発点を探り、さらにレコードや映画などにうかがうことのできる三都(京都と東京・大阪)の性格の変遷をそこに重ねてみると、大正末から昭和初年代にかけて、京都が三都の力学的関係の中で独り伝統に回帰していこうとする足取りをたどることができる。時代の推移につれ、「寺と女」を京都の代表的風物と見なすような外からのイメージを、京都が自らのアイデンティティとして受け入れざるを得なくなる様相をとらえたい。

言及状況

Twitter (2 users, 2 posts, 0 favorites)

http://t.co/uN0T38ElDF 「古都京都」の誕生 : イメージとアイデンティティの相克 予想以上に興味深い。ただ、梅棹忠夫が1966年の古都保存法公布に際して京都が適用の対象になったことにも、鎌倉が一緒に古都の仲間入りをしたことにも反発していたことが思い出される。

収集済み URL リスト