- 著者
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徳永 哲
- 出版者
- 日本赤十字九州国際看護大学
- 雑誌
- 日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
- 巻号頁・発行日
- no.9, pp.39-50, 2010
ナイチンゲールの看護への第一歩は1842年リーハーストに隣接するホロウェイ・ヴィレッジの貧しい病人の看病から踏み出された。その後、ソールズベリー施療病院を訪れるようになって、看護師になる願望を強く抱くようになった。しかし、当時の看護職は社会的に最下層の職業と見なされていた。ナイチンゲールの願望を知った両親は激しく反対し、彼女の行く手を遮った。ナイチンゲールは失望し、自殺を考えるようになった。そうした苦悶が続く日々の最中に、エンブリー・ハウスに2人のアメリカ人が滞在した。1人は博愛主義者ハウ博士であり、他の1人は世界最初の女医ブラックウェルであった。この2人との出会いはナイチンゲールに大きな勇気をもたらした。やがて彼女の強い意志と情熱は父ウィリアムの心を動かし、経済的援助を取り付けることができ、さらにハーバート夫妻がナイチンゲールの才能を高く評価し支援した。19世紀中頃の麻酔の普及と保健衛生への自覚の高まりが医療に新しい時代をもたらした。ナイチンゲールは時代の申し子となって、1854年に近代的な病院看護確立に向けて新たな一歩を踏み出した。