著者
上村 朋子 本田 多美枝
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
no.3, pp.194-207, 2004

本稿では、「概念分析」の手法について概観し、それぞれの手法が生み出されてきた背景について論じた。「概念分析」は1960年代の看護理論の開発に伴い、その構成ブロックである「概念」を明らかにする必要性から、欧米を中心に探究が進められているものである。看護の分野で使用されている「概念分析」の手法は、高校生の概念分析スキルの向上を意図して導かれたウイルソンの方法から展開している。その主なものは、システマテイックな方法として評価され、先行研究において最も採用されているウォーカーとアーヴァントの方法、また時間や状況による概念の変化に着目したロジャーズの革新的方法、実践現場で概念がどのような意味で使用されているのかを重視したバイブリッド・モデル、さらには、いくつかの概念を多面的に分析する同時的概念分析などである。「概念分析」は、これまで曖昧に使用されてきた「概念」を明確にすることを通して、看護の現象に迫る方法を提示している。それぞれの手法の活用にあたっては、分析の目的に適した手法を選択して、クリティカルな思考を展開することが重要である。
著者
徳永 哲
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学紀要 = Bulletin of the Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (ISSN:21868042)
巻号頁・発行日
no.13, pp.21-32, 2014

19世紀の中頃、グラスゴーの公衆衛生は最悪の状態にあった。埋葬地に隣接していたグラスゴー王立病院は熱病病棟や外科病棟を拡充し、1860年代には感染症を消毒によって防ぐことに成功した。1885年にグラスゴー王立病院看護師長に就任したレベッカ・ストロングは、急速に進歩する医学に適合した看護師準備訓練学校を1891年に設立し、看護師資格認定試験を第3者の手で行うことを提唱した。 折しも、ロンドンでは看護師資格認定試験及び国家登録をめぐる賛否両論が看護界を2分していた。認定登録推進派の英国看護協会と反対派のナイチンゲールは激しく対立したが、結局女王の勅令によって1887年から3年間続いた闘いに終止符が打たれた。この論争はまさに看護教育の歴史的分岐点を象徴する出来事であった。ストロングの看護教育刷新は英国看護協会側の立場に立っていた。看護教育にとって最も優先されるものは国家資格認定試験合格なのか、あるいは高度な技術と測りがたい人格的資質の育成なのか。そこには今日の看護教育のあり方を再考させる問題が提起されている。Report About the middle of the 19th Century, Glasgow's hygiene was the worst condition in the UK. The Glasgow Royal Infirmary close to the burial places expanded the fever ward and the surgical department, and succeeded in preventing infective diseases by an antiseptic. Rebecca Strong who had become Matron of the Glasgow Royal Infirmary in 1885 established the preliminary training-school for nurses suitable for rapidly developing modern medical science in 1891 and proposed a recognized test of qualification conducted by a third person. On the other hand, the nursing world in London was divided into the two over the pros and cons of a recognized test and nurse registration. While the British Nurses Association promoted the test and registration, F. Nightingale opposed to them and harshly criticized the promoting movement. Their battle continued for 3 years from 1887. Finally Imperial ordinance gave the battle an end in 1891. R. Strong's renovation of nursing education was on the place where the British Nurses Association stood. Their battle was a symbolic event in a turning point of the history of nurse education. Which is more important as the objective for nurse education, "to pass qualifying examination" or "to develop the art and character suitable for nurses"? Today, this question must be also the primary problem which makes us reexamine what the nursing education at college should be.
著者
徳永 哲
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学紀要 = Bulletin of the Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (ISSN:21868042)
巻号頁・発行日
no.12, pp.13-31, 2013

19世紀中頃のロンドンには大飢饉を逃れたアイルランド人をはじめ各地域からの移住者がテムズ川河口付近や南側の地域に住み着いた。汚物と悪臭に満ちたその一帯には疫病が蔓延していた。貧しい病人を救済するべくカトリックやプロテスタントの修道女が奉仕活動を始めた。また救貧院や総合病院が拡充され、医学校の開設が相次いだ。ナイチンゲールはこうした社会の変化に心を動かされ、看護に関心を抱くが、1852年まで両親の反対によって外出の自由が奪われ、看護への道が閉ざされてしまった。しかし、8年に及ぶ自室にこもって自学したことは公衆衛生学や薬学などから宗教哲学や近代思想などに及んだ。特に、チャドウィックの「瘴気説」は彼女に大きな影響を与え、スクタリの陸軍病院の衛生改善や国内の近代的病棟の設計に優れた実績を残す基となった。それは、また、ナイチンゲール自身の熱いキリスト教信仰と深く結びつけられ、彼女の看護論の中に根強く生き続けた。そして、このことは看護師に必須の「仕事における三重の関心」(1893年)として集約され、病院での看護の優越性と医療の核となって働く看護師の重要性を主張するに至った。 In the middle of the 19th century, immigrants who escaped from the Great Famine came over from Ireland and other regions into London. They came to live around the southern bank of the Thames River, where they formed a huge Irish town, The river flew through an area brimmed over with excreta and stench and caused different epidemics. Poverty and lack of sanitation became the most important matter in London and demanded an immediate solution. The New Poor Law was established by Chadwick in 1834. Both Catholic and Protestant nursing sisters did the relief work around the area in order to save the sick poor. General hospitals enlarged their wards ad established one medical school after another. Nightingale was not allowed to leave her house and could not follow her call to become a nurse for eight years, during this time the situation of medical care and public health in London were rapidly transformed. However, the eight –year's collecting information and thinking in her house gave her a lot of knowledge about nursing, sanitation, and religion. She read information about reformation of public health and learned Chadwick's Miasmatic theory and medical statistician Farr's zymotic diseases theory. When she went to the Crimean War as a matron, both Miasmatic theory and zymotic disease theory led her to the reformation of sanitation in the hospital as Scutari where she worked. Nightingale is considered a scientist because she mastered medical statistics and was well informed on medicine and sanitation. On the other hand it should not be forgotten that she was a Christian. Her guiding principle was to practice nursing following the teachings of Jesus Christ. There is a contradiction between science and Christianity. Nightingale had the contradiction in her mind. It was this contradiction in her mind that was useful to establish modern nursing because nurses must be concerned with the humanity scope of patients. They have to support recovery from illness and give patients the power to live independently. Nightingale said on one of her essays, "A nurse must have an three-fold interest in her work: an intellectual interest in the case, a hearty interest in the patient, a technical interest in the patient's care and cure."
著者
徳永 哲
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.29-61, 2005-12-25

The Potato Famine took place between 1845 and 1849. The terrible potato disease, the 'Blight', came from England to Ireland in the autumn of 1845. The potato was damaged as badly in Britain as in Ireland that autumn, but there was no famine in Britain. 'Blight' caused a terrible disaster just in Ireland. The millions of landless and destitute people poor had few or no money and they could not have any other crop except the potato. More than a million people died, and about a million people left Ireland for foreign countries for the period of five years. I wrote a paper, Relief Measures and Epidemics in the Irish Great Famine (1845-49), in 2002, and presented it to the Intramural Research Report Vol. I. When I was writing the paper, I found a lot of problems which were beyond my understanding. Why were the poor people not relieved? Why could they eat any food except the potato? Weren't there any relief activities? A lot of problems welled up in my heart. I traveled around Ireland in 2004 to solve the problems. I went to Connemara District by bus, and looked at the beautiful mountains and lakes. I was very much fascinated by them, but at the same time I felt sad. I imagined that the poor Irish people evicted from the landlord were wandering on the rocky mountains, and starved to death. The beautiful mountains I saw must have seemed to the poor Irish people to be the desperate ground. I want to make it clear in this paper how Irish people lived and died in workhouses, fever hospitals and their cottages, and what kind of disease they died of."アイルランド大飢餓(1845-49年)の救済策と疫病"(2002)を基に再構成、加筆したもの
著者
荒木 正見
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.1-11, 2005-03-01

この論文は、三浦綾子「夢幾夜」における「合唱の夢」(筆者による仮称)について、夢解釈の手法で解釈する試みである。この「合唱の夢」の構造を確認すると場面は二段階に進行する。一段階目は見知らぬ男から丁寧かつあつかましい手紙が来てやがて彼が登場するところまでである。第二段階目になると花火が上がって教会堂は万国旗で飾られている。すると合唱が天の一角から響く。はじめ「天に栄光、地に平和」といっていたのが、やがて「天に平和、地に平和」と変わり人々は和する。自分は「天国に行っても、平和を叫ばなければならないのか。」と落胆する。二つの段落は共時的に結びついている。特に音楽という、意識無意識の全体を象徴する場面では真の気持ちが語られる。そのように考えれば、見知らぬ男はイエス・キリストであり、さらに作者の他の作品などを参考にすれば、この夢はいつまでも平和が来ないと神に救いを求めるという潜在意識を意味しているといえる。
著者
石橋 通江
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
no.8, pp.15-22, 2010

本論では、著しい行動化を示すといわれる「境界例(ボーダーライン)」の診断により入院治療を要した成人男性を対象にして、退院後20 年を経過した時点でインタヴューを実施し、「自らのふり返り」を通して、アイデンティティ確立過程における「体験」構造を探求することを試みた。対象者は、幼少期から母親との離別、父親との死別、希薄な親戚関係から「見捨てられ体験」を繰り返し、それがトラウマになって感情の暴発や突然の卒倒などの行動化を起こしていた。入院体験をターニングポイントに、職場の同僚や妻の支えによって対象者のリジリエンスは高まり、仕事上の成功体験、守るべき家族の存在によって、こころの傷は癒され、自己の再構成を遂げていった。境界例患者の持つ病理は、看護役割を自覚しつつも患者の自己中心的な行動に否定的感情を抱き、看護者自身の傷つき体験につながる特徴をもつ。こうした悪循環を止めるためには、看護者自身の内面的洞察と自己理解を通じて、患者の生育歴の十分な分析に基づいて関わりの糸口を探り、自立生活を送れるよう自らが自覚する方向で支援する必要性が示唆された。
著者
濱田 維子 小林 益江 佐藤 珠美 江島 仁子
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.10-16, 2006-12-22

ピアエデュケーションの特徴は、同世代の仲間意識の共感・支持による教育効果が高い点と、知識提供だけではなく個人の自信や自己評価を高めることを目標としている点にある。本学では、2004 年度より、大学生ピアエデュケーターの養成とともに、大学生による小学生への性教育活動を展開している。小学5 年次から6 年次にかけた2 年間の継続的な授業展開を通して、子どもたちへの質問紙や感想をもとに授業評価を行い、小学生へのピアアプローチの効果について明らかにした。その結果、(1)小学生と年齢差のある大学生とのコミュニケーションを重視した活動展開によって、両者の関係性を構築することができた。(2)複数の大学生が体験談を語るという共感的アプローチによって、授業内容の理解が促進された。(3)自己肯定感の向上を目的とした授業展開により「自分を好きだ」といえる子どもが増加した。以上のことより、小学生とのコミュニケーションを重視したプログラムと、年齢差のある対象者に対しても、関係性を重視したピアアプローチによる効果的な性教育が可能であることが示された。
著者
上村 朋子 本田 多美枝
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report = The Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing, intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.194-207, 2005-03-01

本稿では、「概念分析」の手法について概観し、それぞれの手法が生み出されてきた背景について論じた。「概念分析」は1960年代の看護理論の開発に伴い、その構成ブロックである「概念」を明らかにする必要性から、欧米を中心に探究が進められているものである。看護の分野で使用されている「概念分析」の手法は、高校生の概念分析スキルの向上を意図して導かれたウイルソンの方法から展開している。その主なものは、システマテイックな方法として評価され、先行研究において最も採用されているウォーカーとアーヴァントの方法、また時間や状況による概念の変化に着目したロジャーズの革新的方法、実践現場で概念がどのような意味で使用されているのかを重視したバイブリッド・モデル、さらには、いくつかの概念を多面的に分析する同時的概念分析などである。「概念分析」は、これまで曖昧に使用されてきた「概念」を明確にすることを通して、看護の現象に迫る方法を提示している。それぞれの手法の活用にあたっては、分析の目的に適した手法を選択して、クリティカルな思考を展開することが重要である。
著者
小手川 良江 本田 多美枝 平川 オリエ 本田 由美 寺門 とも子 八尋 万智子
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report = The Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing, intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.15-25, 2010-12-25

本研究の目的は看護師の「職業キャリア成熟」に影響する要因を明らかにすることである。看護師の「職業キャリア成熟」(27点〜135点)に、属性・経験年数・家族の支援・キャリア計画をたてるうえで影響の大きいライフイベント・役割モデルの有無・メンターの有無が影響していると考え、概念枠組みに基づき調査項目を設定した。設置主体が同じである二つの総合病院(A病院509床、B病院301床)に勤務する看護師を対象とし、無作為抽出により374名に調査用紙を配布した。調査は無記名自記式質問紙調査とし、郵送にて回収を行った。分析は記述統計量、t検定、一元配置分散分析、相関分析を行った。結果、「職業キャリア成熟」と経験年数に有意な差はなかった。しかし、全ての経験年数で他の下位尺度と比較して<職業キャリア計画性>が低かった。現在起こっているライフイベントの中でキャリア計画をたてるうえで影響が大きいものとしては、結婚61名(30.7%)、育児49名(24.6%)が多かったが、配偶関係や子どもの有無による「職業キャリア成熟」に有意差は認められなかった。しかし、家族の支援が高い群は有意に「職業キャリア成熟」が高く、家族の支援による影響が示唆された。また、役割モデルやメンターの存在がある群は、「職業キャリア成熟」が有意に高く、キャリア成熟の影響要因であることが示唆された。
著者
増成 直美
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学紀要 = Bulletin of the Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (ISSN:21868042)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.25-36, 2012-12-28

近時、薬剤師の法的責任が問われる判例が目立ち始めた。そこで、近年の調剤過誤事件やそれに対する裁判所の判断等を中心に、とりわけ薬剤師の視点からの法解釈を通じて、現行の薬剤師の法的義務およびその限界を検討することにしたい。具体的には、調剤過誤事件11 件を「医師が交付した処方せんが存在しない場合」、「医師が交付した処方せん自体には問題がない場合」および「医師が交付した処方せん自体に問題がある場合」等に大きく分類し、それぞれについて詳細に検討を加えた。行政法上の規定の遵守、取締りの強化により、調剤過誤事件の防止が期待できるように思えた。
著者
川原 淳子 石橋 通江 坂本 洋子
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.134-146, 2005-03-01

本研究の目的は、看護学生が認知的煩雑性によって対人認知に関する偏見的判断を促進させるか否かを検証することである。方法は、看護大学生103名を対象に、精神障害者に対する対人認知についての調査用紙を作成し実験を行なった。実験内容は、認知負荷強度3条件および、精神障害者ラベル提示有無の6つの実験群を設定し、それらの条件間で、認知する人物に対する印象、認知する人物の行動予測、認知する人物に対する自己の行動意図について測定した。その結果は、実験における認知負荷操作の有効性は確認できたものの、仮説を支持する結果は得られなかった。看護学生の対人認知傾向として、認知する対象人物が精神障害者である場合は認知的煩雑性によってその人物によりポジティブな印象形成が促進され、その人物のよりポジティブな行動予測が促進される傾向にあると考えられた。また、認知する対象人物の印象とその人物の行動予測、その人物に対する自己の行動意図には、他に異なる認知過程があることが示唆された。
著者
小林 裕美 乗越 千枝
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.128-140, 2005-12-25
被引用文献数
3

訪問看護師の訪問看護を行うことによって生じる負担と精神的健康状態および首尾一貫感覚(SOC)との関係を明らかにする目的で、福岡県内の訪問看護ステーションに勤務する訪問看護師に調査を依頼し、有効回答を得た102名の結果を分析した。対象者は、全員女性で、40歳代の既婚者で子供がいる者が多かった。精神健康状態は良好とはいえなかったが、首尾一貫感覚(SOC)が高いほど、精神健康状態が良好になることが明らかとなった。訪問看護に伴う負担は、訪問看護師の精神健康状態に直接的に影響していなかった。その1つである「多くのことをひとりで判断すること」は、訪問看護の経験ではなく看護経験の長さに影響し、そのような訪問看護師に対する特別な配慮が必要であると考えられた。また訪問看護師は、SOCの3つの要素のうち、把握可能性、有意味感が高く、処理可能感が低いために、問題解決のための資源をあきらめず探しつづけ、正の方向に押し上げる力をもつといえる。従って、訪問看護師が問題解決できる資源を準備することが重要であることを示唆している。
著者
山本 捷子
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.219-227, 2005-03-01

日本赤十字社は、120年余にわたり、もともと戦時救護ならびに天災時救護のための看護婦を養成してきた。戦前は日本が関係した戦争時に傷病兵や捕虜の救護を行ない、濃尾大地震や関東大震災においても災害救護を行なってきた。戦後は、日本赤十字社法の元に国内の災害ならびに国際赤十字の一員としてICRCや国際赤十字・赤新月社連盟の調整の元に、紛争地や被災地で救援活動あるいは保健衛生の向上に貢献している。その活動の歴史を振り返り、現在の日本赤十字看護教育における災害看護教育の課題を考察した。特に、災害に対する人々の関心の高まりや人権意識が強くなった現在、また複合災害が頻発する国際社会において活動する際に求められる看護実践能力や態度について、問題と解決の方策を探るべく私見を述べた。
著者
寺門 とも子 喜多 悦子 小川 里美 エレーラ ルルデス 本田 多美枝 上村 朋子 松尾 和枝 五十嵐 清
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学紀要 = Bulletin of the Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (ISSN:21868042)
巻号頁・発行日
no.12, pp.57-62, 2013

日本赤十字九州国際看護大学では2012年10月、国際協力機構(JICA)インドネシア看護実践能力強化プロジェクトの一環として、インドネシア看護職の実践力強化のための継続教育システム(キャリア開発ラダー)実践研修の機会を得た。この実践研修はインドネシア保健省をはじめ、看護教育学部を持つインドネシア大学ほか5大学とその協力病院から責任者レベル看護教育担当者18名が参加し、日本赤十字九州ブロック医療施設3施設と本学の協力によって行い、一定の成果を得た。この成果は、引き続き、JICAプロジェクトとして、本学が中心となり、インドネシア国内の看護職現任教育(インサービストレーニング)に活かし発展させていくこととなった。本学が企画し、研修の評価に関わったので、これまでの経過と成果を報告する。Under the auspices of the Japan International Cooperation Agency (JICA), The Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (JRCKICN) organized and conducted a training program that aims at reinforcing nursing practice in Indonesia by introducing the Japanese Red Cross career development ladder in nursing continuing education system, A total of 18 nurses participated in the training course; they currently hold line management positions at either the Indonesian Ministry of Health, one of the 5 partner faculties of nursing, or partner university hospitals. The first part of the training program was conducted in close collaboration with 3 Red Cross Hospitals and the Kyushu block. Results attained in the program's first phase are being applied during "in service training" at the national lee. This report presents the program planning and implementation processes along with preliminary achievements.
著者
喜多 悦子 江藤 節代 本田 多美枝 上村 朋子 青山 温子
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

「人間の安全保障」は、個々の人間は暴力/紛争と、適切な保健サービスの利用・就学・就業・移動など、身近な欠乏から護られるべきとする概念だが、世界人権宣言など、古くから理念の集約とする意見もある。しかし、本理念が新たに必要になったのは、近年、多発する地域武力紛争(Complex Humanitarian Emergency、CHE)や国際武力介入、併発するテロ、巨大自然災害・新たな感染症、格差や貧困など、現在の地球上の人間の安全を脅かすものは、これまでの「国家安全保障」の範疇にはなく、改めて個々人の安全が問われているからといえる。一方、世界で最大多数を占める保健医療者として、人々の安全における看護者の役割は明確でない。本研究では、わが国の看護教育をふくめ、類似の概念があったかどうかを検討し、近隣諸国における看護およびその教育での扱いを調査してきた。これまで、わが国および近隣諸国の保健医療面、特に看護者に「人間の安全保障」の概念があるかどうかを調査したが、明確な認識があるとの確証は得られなかった。アジア随一のドーナーでもあるわが国には、160を超える看護大学と数百看護専門学校があり、看護職養成施設数は充足している感があり、また、その多くで国際保健/看護を扱っているが、国内的にも国際的にも、「人間の安全保障」の概念が取り入れられているとは云い難い。近隣諸国の看護職は、なお、その社会的地位の確立がなされていない上、教育においても、技術的に終始していることが多く、理念、ことに「人間の安全保障」の概念すら明確に理解されていない。国際看護師協会(International Council of Nurses,ICN)の謳う看護者の役割とも矛盾しない保健面における「人間の安全保障」の実践に看護職者の関与が期待されることを、研究報告書としてまとめた。
著者
徳永 哲
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学紀要 = Bulletin of the Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (ISSN:21868042)
巻号頁・発行日
no.13, pp.21-32, 2014

19世紀の中頃、グラスゴーの公衆衛生は最悪の状態にあった。埋葬地に隣接していたグラスゴー王立病院は熱病病棟や外科病棟を拡充し、1860年代には感染症を消毒によって防ぐことに成功した。1885年にグラスゴー王立病院看護師長に就任したレベッカ・ストロングは、急速に進歩する医学に適合した看護師準備訓練学校を1891年に設立し、看護師資格認定試験を第3者の手で行うことを提唱した。 折しも、ロンドンでは看護師資格認定試験及び国家登録をめぐる賛否両論が看護界を2分していた。認定登録推進派の英国看護協会と反対派のナイチンゲールは激しく対立したが、結局女王の勅令によって1887年から3年間続いた闘いに終止符が打たれた。この論争はまさに看護教育の歴史的分岐点を象徴する出来事であった。ストロングの看護教育刷新は英国看護協会側の立場に立っていた。看護教育にとって最も優先されるものは国家資格認定試験合格なのか、あるいは高度な技術と測りがたい人格的資質の育成なのか。そこには今日の看護教育のあり方を再考させる問題が提起されている。Report About the middle of the 19th Century, Glasgow's hygiene was the worst condition in the UK. The Glasgow Royal Infirmary close to the burial places expanded the fever ward and the surgical department, and succeeded in preventing infective diseases by an antiseptic. Rebecca Strong who had become Matron of the Glasgow Royal Infirmary in 1885 established the preliminary training-school for nurses suitable for rapidly developing modern medical science in 1891 and proposed a recognized test of qualification conducted by a third person. On the other hand, the nursing world in London was divided into the two over the pros and cons of a recognized test and nurse registration. While the British Nurses Association promoted the test and registration, F. Nightingale opposed to them and harshly criticized the promoting movement. Their battle continued for 3 years from 1887. Finally Imperial ordinance gave the battle an end in 1891. R. Strong's renovation of nursing education was on the place where the British Nurses Association stood. Their battle was a symbolic event in a turning point of the history of nurse education. Which is more important as the objective for nurse education, "to pass qualifying examination" or "to develop the art and character suitable for nurses"? Today, this question must be also the primary problem which makes us reexamine what the nursing education at college should be.
著者
徳永 哲
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学紀要 = Bulletin of the Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (ISSN:21868042)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.61-72, 2011-12-28

ナイチンゲールの思想は、1842 にプロシアの特使ブンゼン男爵と知り合いになった時点から急速に進歩、深化した。ブンゼン男爵の豊富な知識は、神学者でありながら異端者として火刑に処されたブルーノやエックハルト、さらにネオ・プラトニズムにまで及んでいた。また、ドイツのカイザースヴェルト学園の情報誌などを届けてくれたのはブンゼン夫妻であり、彼を通して知った宗教思想や哲学はナイチンゲールの看護への意志を支え、励まし続けた。1840 年代後半になると、ロンドンにはプロテスタントとカトリック双方の女子修道会が発足し、貧困者の救済に修道女が活躍するようになった。ナイチンゲールは特に看護修道女の活動を知るようになった。クリミア戦争ではナイチンゲールを支えて献身的に働いた看護修道女のフライやマザー・ムーアから、彼女等の看護への意識の高さを思い知らされた。その一方で、キングス・カレッジのボーマン医師の外科手術に立ち会ったことから医療技術の進歩に直面し、病院看護の新しい方向性を見出す切掛けとなった。また、彼女が自発的に習得した公衆衛生学や統計学の知識は近代看護の確立基盤となった。宗教と科学、この矛盾したものがナイチンゲールの思想の中には一体となって存在し、近代看護は生み出されたのである。
著者
松尾 和枝 本田 多美枝 江島 仁子
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.29-34, 2009-09-30

学生による授業評価に双方向性をもたせ、組織的・即時的に授業改善に活かすシステムづくりは、多くの大学で課題となっており、近年は、コンピュータの利用が注目されている。2002年から2007年の5年間を対象に、コンピュータによる授業評価システムに関する文献検討を行った。その結果、(1)授業評価システムのコンピュータ化は年々増加しているが、看護を含む保健医療分野での取り組みは報告がない、(2)システムはWeb上に作成することにより、組織的に実施することが可能となる、(3)媒体として携帯電話の利用は有用である、(4)授業評価システムは単独ではなく、多機能な学習支援システムの一部として統合できる可能性がある、(5)有用な授業評価システムにするには運用上の工夫が必要である、ことが明らかとなった。
著者
徳永 哲
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学intramural research report = The Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing, intramural research report (ISSN:13478877)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.31-41, 2010-03-31

19 世紀に入って、リバプールは造船・港湾都市として急成長し、世紀中頃には、ロンドンに次ぐ国際貿易の拠点として栄えた。その繁栄の半面、アイルランドの大飢饉を逃れた難民が流れこんできた。彼らは地下室や袋小路の共同住宅に住み、劣悪な環境の中で悲惨な生活を送った。政治家であり資産家でもあったウィリアム・ラスボーンは貧民の救済に尽力した。彼は看護を専門職とする看護師を育成し、貧民家庭の病人を訪問させることを考えた。そのためのアドバイスをナイチンゲールに仰ぎ、指示に従って王立リバプール病院に看護師養成学校と看護師宿舎を創設した。さらに、彼は救貧院施療病院看護体制の改革にのりだし、ナイチンゲールの助力を得て、聖トマス病院ナイチンゲール学校の優秀な卒業生アグネス・ジョーンズを看護師長に迎えることができた。ナイチンゲールの最愛の教え子アグネスは貧民の看護に献身的に尽くし、人道の模範を示した。ナイチンゲール、ラスボーン、アグネスこの3 人を結び合わせたものは友愛と平等であり、貧民救済への熱意であった。その力は堕落した病院の看護体制を刷新したばかりでなく、貧困と退廃に満ちた社会に希望をもたらしたのである。看護が社会を向上させることのできた稀に見る例であった。