著者
三宅 智志
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.151-166, 2011-03-01

嘉永六年(一八五三)、譜代・家門で担っていた江戸湾警衛に外様国持が動員された。その理由を考察する中で、柳川立花家に着目すると当主鑑寛の正室は田安斉匡の娘である。本稿ではこの立花鑑寛と田安斉匡の縁戚関係をヒントに、徳川家の縁戚関係の広がりを検討し、近世後期に徳川家が行った縁組政策の目的を考察していく。その上で、前記の嘉永六年に外様国持が江戸湾警衛に動員された背景を解明していく。その結果、多くの外様国持は徳川家との縁戚関係上に存在している。つまり、何れも徳川家と文化・文政期以降に姻戚関係を築いた大名によって江戸湾が警衛されているのである。ペリー来航以前は、名実ともに家門と譜代であったが、ペリー来航以降は国持で家門にあたる大名が将軍のお膝元である江戸湾警衛に動員されるのである。

言及状況

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弘化3年閏5月8日(1846年7月1日)、徳川斉順が死去。第11代の紀州藩主で、第11代将軍・徳川家斉の子。また、幕末の第14代将軍・徳川家茂の父親でもある。三宅智志「大名の婚姻に関する一考察」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』39)は、将軍継嗣問題に絡めて斉順に言及。 https://t.co/qTBJZDfjh8
三宅智志「大名の婚姻に関する一考察-幕末期外様国持の海防動員に関連して-」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』39、2011年)という論文がある。ペリー来航の嘉永6年、柳川立花家など外様国持が江戸湾防備に動員された背景を探る。 http://t.co/xFNURfWIWG

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