著者
新井 陽介
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.71-86, 2016-03-01

谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』は2003年に出版されて以降、ユリイカ(平成23年43巻7号)で特集が組まれたり、静岡大学の『情報学研究』紙上シンポジウムで取り上げられたりと様々な批評、評価がなされてきた。その中で、主人公であるキョンの独特の一人称が特徴である、という評価がある。全ては大きな視点で考えれば、一人称の一部であると考えられるが、彼の立ち位置は多岐にわたり、原点である物語の登場人物としてのキョン、「読者」の視点に立つキョン、「ノベルゲーム」的な性質を持つキョン、物語世界の外部に存在し、時間的にも物語世界の外部に存在するキョンと、きわめて立体的な構造をなしているのである。一人称第四人称キャラクター萌え
著者
川本 豊
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.59-76, 2010-03-01

本研究は、古典文学に表出される住まいに関する心性(ここでは住居感覚をさす)の歴史的な展開を解明しようとするものである。本稿では院政期の女房日記である『讃岐典侍日記』(上巻)をテクストに、天皇を看取るという特殊な時・空に繰り広げられる心情に着目し、日本文化において特徴的な<奥>という心性について考察する。<奥>は、感受する側の内在要因として身・心を、外在要因として空間・時間という二面を持っており、当該テクストからもそれをうかがうことができた。空間的には、物理的な固定性がなく対概念として存在し、「奥」に対して「表」があり、時にそれが反転したり入れ子状態になったりと、融通無碍に変化することがみてとれる。一方、時間的には、看取りのプロセスとしての<奥>がみえ、生と死、あるいは顕と冥のクロスしたゾーンにその一様態が確認できた。
著者
堀岡 喜美子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.48, pp.127-143, 2020-03-01

柳田國男が「巫女考」において巫女を「神社ミコ」と「口寄ミコ」に分類して以来、多くの先人によって膨大といえる巫女の研究が成されてきた。しかしながら「「巫女」とは何か」についての論究は乏しく、神話世界の女神なども「巫女」とみなし、現実社会に生きた巫女の本質を曖昧にしてしまう傾向が見られる。史料上、古代律令社会には「巫女」の語はほぼ認められず、十二世紀初頭より祭礼神幸記録に巫女が現出してくる。これらの記録を手掛かりに「巫女」の実像を探求した結果、「巫女」とは院政期において、宮廷神事の神社移行に伴い誕生した呪術的女性祭祀者であり、宮廷女性祭祀者である御巫の代理的存在である可能性を見出した。また、祭礼神幸における巫女の役割は呪術性と美麗な様相をもって、祭礼神幸が内包する民衆騒擾を抑制し、かつ、神幸のカタルシス役割を高めるものであったと考えられる。祭礼神幸巫女の現出宮廷祭祀御巫白河院
著者
町田 明広
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.127-143, 2010-03-01

本稿の主目的は、文久期前半における「皇政回復」という概念の実態を解明することにあり、島津久光の率兵上京に至る薩摩藩の動向を明らかにしつつ、封建諸侯、朝廷および西国志士の具体的な建白等の政見を検証することによって、諸勢力の皇政回復観の相違を明らかにすることに力点を置いた。久光は挙国一致体制(公武融和)実現を企図し、自身が幕政に参画し、当期政局の実質的リーダーとなることを目指し、勅諚による国家体制「天皇親裁体制」を画策した。その実現のためのイデオロギーとして皇政回復を唱え、手段としての側面が強い。皇政回復の根本的な相違は、久光に対し、岩倉や尊王志士は真の天皇親政を目指していた事実にあった。しかし、岩倉は性急な武力を伴う天皇親政への移行は否定しており、また、当面の大政委任は過渡的措置として容認していたため、尊王志士とは対立構造に見え、一方、久光との違いは一見して類別し難いものであった。
著者
渡邊 大門
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.19-34, 2013-03-01

本稿で取り上げるのは、かつて神戸市北区に所在した荘園の一つ摂津国山田荘である。本稿では、山田荘が登場する平安期を基点として、終焉を迎える織豊期までを取り上げ検討する。その中で、平安期から室町期については、山田荘と周辺の三荘園(淡河、押部、八多)との相論を踏まえ、材木資源が争点になったことに触れ、荘園間での紛争解決が困難になったことから、守護権力を必要としたことを論じた。戦国期以降、山田荘は別所氏の関係者が代官職を務めることによって、安定的な年貢の確保を可能にした。織田信長登場以後は、基本政策である寺社本所領安堵によって、年貢確保をいっそう安定的にした。しかし、別所氏が信長に叛旗を翻してから、年貢の確保は困難になったと考えられる。別所氏は信長の傘下に収まって以後、先述した信長の施政方針に従っていたが、やがてその方針に従えなくなり、叛旗を翻したと考えられる。
著者
筒井 大祐
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.197-212, 2018-03-01

本稿は、重要文化財である石清水八幡宮古文書の内、『八幡宮寺巡拝記』(桐之部 桐十一 ― 22)の翻刻である。なお、紙幅の都合で翻刻を前・後として分載し、本誌には、1丁表から30丁表まで掲載する。次号に30丁裏から52丁裏を掲載予定である。石清水八幡宮古文書『八幡宮寺巡拝記』
著者
田中 由貴乃
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.1-17, 2012-03-01

自由党総理板垣退助は、明治十五年末から翌年六月にかけ、フランスをはじめとするヨーロッパを巡見した。八年後に迫った国会開設を控えて、先進諸国の実情を視察するためであった。しかし、その時期や、費用の出資者をめぐり、先ず党内の反対派から疑惑が指摘され、内訌を招き、自由新聞からも馬場辰猪らが退社する結果になった。さらに、紛争は党外にも飛び火し、改進党からも批判を浴び、自由党との間に、それぞれの機関紙上で、論争が展開した。本稿では、以上の紛争と新聞論争の実態を明らかにしたい。
著者
北野 元生
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.115-131, 2016-03-01

西東三鬼の有名な俳句に「水枕ガバリと寒い海がある」がある。「ガバリ」は声喩語である。従来より、この句における「ガバリ」は水枕や水音など水にかかわる修飾語であると説明されてきた。しかし、「ガバリ」をこのような説明だけに任せておいてよいものかどうか、疑問は残る。そこで、歴史的にガバリという声喩語がいつ頃、どのような状況を説明するために成立したのかを検討することとした。その結果、この語「ガバリ」は中世の戦記物語に起源を有する、本来は水とは関係のない修飾語としての声喩語「カハ」を語根として、それから派生して発生してきたことが分かった。この「カハ」は時代を下るにしたがって、意味の変動を伴ったりあるいは伴わずに、その形態をいろいろ変えてきたようである。現在においても、「ガバリ」という語には、水にかかわりない確かなニュアンスが残存していると考えられるのである。ガバリ声喩語語根カハ歴史的変遷
著者
秋山 博志
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.83-100, 2017-03-01

表題にある中原尚雄とは、その言動が西郷隆盛暗殺という密命を帯びたものと見做され、西南戦争開戦のきっかけとなる人物であり、「西南戦争」や「西郷隆盛」を語るときには必ずと言っていいほどに登場する。中原は、西南戦争後に警視庁から高知県へ転出して警察署長となり、その後同県、山梨県、福岡県警部長を歴任することから、その官職が鹿児島での活動に対する褒賞であるとの説も巷間に存在する。本稿においては、中原の経歴を本人の辞令、官報、地誌、墓碑等から追跡し、その上で警部長の身分が褒賞に値するのかという点について、俸給や位階、官等の点から検証し、陸軍憲兵への転出の可能性があったことをも明らかにした。さらには、周辺の群像を洗い出すことにより、鹿児島県人が縁故を辿って立身出世していく、俗に「(薩摩の)芋蔓」と譬えられる人事システムにも着目し、中原の警部長就任との関わりについても併せて考察を行った。中原尚雄西南戦争西郷隆盛暗殺警部長憲兵
著者
大利 恵子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.53-68, 2014-03-01

九条家領土佐国「幡多郡」は、建長二年(一二五〇)に九条道家が残した惣処分状に唯一郡名で載せられた家領であり、これまで九条家とそこから分かれた一条家の一円領であったとされてきた。しかしながら、この家領の歴史的性格を明らかにするには、遠国土佐のさらに僻遠の地になぜ家領が形成されたのか、またその構造や領有等の基礎的な個々の問題についての議論が必要と考える。本稿は九条道家惣処分状の検討を主に、家領の性格が国衙領であるのか荘園であるのかが客観的に判断できないにも拘わらず、一門の間ではこの家領が鎌倉幕府からの支給地であり、個々の荘園ではなく「郡」として認識され続けたこと、その一方で家領「幡多郡」が郡域としての幡多郡と同一ではないことを確認した。「幡多郡」は幡多・高岡両郡に点在する荘園と国衙領の一部を抱え込んだ曖昧な領域であり、この家領に対する認識も漠然とした、多分に「観念的」なものであった可能性が指摘できよう。
著者
大明 敦
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.215-231, 2011-03-01

宮沢賢治の代表作の一つとされる『銀河鉄道の夜』の主要な登場人物であるカムパネルラについては、夭折した妹・トシや学生時代の親友・保阪嘉内などがモデルとして取り上げられてきた。本稿では、菅原千恵子・蒲生芳郎の両氏らによって提唱された保阪嘉内をモデルとする説への疑問について考察すると同時に、そこから『銀河鉄道の夜』の創作意図を考えてみようとするものである。『銀河鉄道の夜』は菅原氏がいうように「賢治が終生、嘉内に送り続けたラブコール」といった個人的な作品ではなく、ジョバンニのような境遇にある多くの読者に自らのメッセージを伝えるために書かれたものと考えられる。それは、『銀河鉄道の夜』が今なお多くの読者に親しまれている要因の一つなのではなかろうか。
著者
加澤 昌人
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.48, pp.93-110, 2020-03-01

米沢城本丸の上杉謙信を祀る御堂(みどう)は、藩政期をとおし藩の安泰を祈る場として崇敬された。明治時代になりその祭祀は仏式から神祭へと転換する。そして旧藩士の発願によりすべて民費によって上杉神社が建立される。明治維新後、職を求めるなどして米沢を離れた旧藩士は少なくない。本論では、彼らの新天地におけるこの神社に対する崇敬のかたちを、『米澤有爲會雑誌』の記事を中心にとらえていく。ひとつは屯田兵として北海道厚岸郡太田村に渡った人々による上杉神社の遥拝式と神社の建立、もうひとつは全国各地の米澤有爲會支部が上杉神社の祭典に合わせて行った遥拝式から明らかにしていく。そこには具体的にその崇敬のかたちが表現されている。米沢の上杉神社の建立に関わった後に米沢を離れた彼らが、遠隔の地に神社を建立し、あるいは遥拝した米沢の上杉神社への思いは、単なる望郷の念ではなかった。彼らの先祖代々から精神的な支えとして受け継がれてきた、謙信の義勇と鷹山の民政に対する強い崇敬の念によるものであった。上杉謙信上杉鷹山上杉神社太田村屯田兵米澤有爲會
著者
谷口 潤
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.48, pp.111-126, 2020-03-01

『古事記』・『日本書紀』に見える草薙剣は、従来三種の神器のうちの一つとして、受け継ぐことで王権の正統性を保証する神璽の剣であるとされてきた。しかし神野志隆光によってそうした草薙剣の姿は『記』・『紀』には見られないことが明らにされ、『古語拾遺』がそうした言説を生み出したことが示された。本稿ではこれを受け、『古語拾遺』を編纂した斎部広成の側から『古語拾遺』の草薙剣を読み解き、『古語拾遺』の草薙剣をめぐる言説が、九世紀における天皇即位儀礼とどのように関わっていたのかを見ることで、草薙剣と神璽の剣の同一視が斎部氏の固有の祭祀実践によるものであったことを明らかにする。また、『古語拾遺』の神武天皇即位の場面に登場する殿祭の記述から、そうした斎部氏の実践が九世紀における即位儀礼の変化に対応するものであったことを示す。草薙剣『古語拾遺』斎部氏即位儀礼神璽
著者
山口 希世美
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
no.48, pp.163-180, 2020-03-01

本論は、院政期天皇の乳母の役割の歴史的変化を論じる。そのためには、乳母が何を目的として任命されたかを明らかにし、任命された時期に注目する必要がある。その視野に立ち、第一章において天皇それぞれの乳母を考察する。その過程で明らかとなった天皇の乳母の定員化・官職化、及び、皇子の乳母から天皇の乳母への分断についてを第二章で論じる。それが顕著に表れる、乳母の交代や践祚後に任命される傾向として、特定の行事がきっかけとなっている。第三章では、乳母典侍が行うことが多い、八十島祭使、賀茂祭女使、即位時の褰帳命婦、立后時の理髪役について検討し、乳母典侍が行うことの意義を論じる。乳母典侍乳父八十島祭平安時代鎌倉時代
著者
原口 善一郎
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.121-130, 2012-03-01

本稿において,佐賀県武雄市に保存されている江戸寛政期の資料を中心に紹介する。この資料は,旅日記の形式による雑記帳(寛政七年),薬の資料(天保九年)など多様である。今回,廃棄を免れ現存する資料の全てにおける資料撮影許可をいただいた。撮影できた分の内,寛政期の生きた歴史資料としての部分と薬の材料の部分を中心に資料を公開するものである。
著者
星 優也
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.109-125, 2018-03-01

『妙覚心地祭文』は、弘法大師空海作と伝わる祭文で、その書名自体は平安末期の嘉応二年(一一七〇)写とされる初期両部神道書『三角柏伝記』に確認できる。鎌倉期以降、各所に伝本が存在しているが、近世以降に空海仮託の偽書と見なされたことで研究は進まなかった。近年は中世神道研究において注目されており、再評価の機運が高まりつつある。本稿は以上の研究史を踏まえ、『妙覚心地祭文』前半部の祭文について、<本尊>である「尊神」「冥道」(冥衆)、そして祭文の詞章に登場する「陰陽師」、さらに弘法大師作という言説に注目し読解を試みる。初期中世神道書である『三角柏伝記』にその名が見え、平安後期以降に密教や陰陽道の神々として展開される冥道や星宿を<本尊>とし、さらに祭文に「陰陽師」が登場する『妙覚心地祭文』。本稿は、中世神道と中世仏教、中世陰陽道をクロスさせる『妙覚心地祭文』研究序説として位置づけるものである。『妙覚心地祭文』冥道陰陽師弘法大師中世神話

3 0 0 0 IR 牛久助郷一揆

著者
大久保 京子
出版者
佛教大学大学院
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.167-179, 2016-03-01

文化元(一八〇四)年に牛久宿で起きた牛久助郷一揆については、小室信介編『東洋民権百家伝』の第三秩に掲載されたことで世に出るまで、その地域ですらほとんど知られることがなかった。また掲載された後も、顕彰活動が起こることもなく、研究もいまだ地域的なものにとどまっているのが現状である。本稿は牛久助郷一揆の紹介と、義民として近代以降も活用されていくのに必要な条件について考察する。牛久助郷一揆牛久助郷騒動佐倉宗五郎東洋民権百家伝
著者
木元 英策
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.117-133, 2011-03-01

平安期や鎌倉期に「得分」といえば、「領主之得分」を指していた。それは、12世紀半ばの史料に現れる余剰生産物が、官物や地子、それから開発領主が収取する得分のみであったことからも窺われる。ところが戦国期になると、領主層が収取する年貢部分の固定化や生産力の向上にともない、さらなる余剰を生みだすようになる。戦国期の「得分」は主にその余剰部分を指し、土豪・富農層を中心に集積された。ところが、これまでその戦国期の「得分」について曖昧に捉えられる面もあり、定義付けおよび問題提起が不十分であった。そこで数多く伝存する北近江・和泉地域の売券・寄進状をつぶさに検討し、戦国期の「得分」を分類整理した結果、存在形態によっては、領主層が収取すべき部分にまで踏み出して、土豪層が得分を成立させている例を呈示するに至った。
著者
ジョルジョ プレモセリ
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.19-35, 2014-03-01

本論では、泰山府君を中心に陰陽道における祭祀と祭文という視点から平安後期における陰陽道の「宗教性」に関して考察を試みる。そのため、泰山府君が『今昔物語集』の中でいかに描かれていたかに着目し、古記録から泰山府君祭の記録に焦点を当てる。さらに、陰陽道独自の世界観を描いている祭文から泰山府君はいかなる陰陽道神であったかを検討する。祭文の中では、泰山府君が「冥道諸神十二座」の「十二冥道の尊長」として新たに位置づけられるが、このような展開は、『今昔物語集』や古記録にはみえない。十二世紀初期から安倍泰親が安倍家の陰陽師としての権力を押し出して、泰山府君祭を作り上げた始祖安倍晴明のように泰山府君の利益を貴族社会に宣伝した。平安後期の祭文における陰陽道固有の世界観の中では、泰山府君は顕密体制論の中の仏教的存在には解消できない面も見えてくる。そのことによって、祭祀や祭文を中心に考える見方が陰陽道研究の新たな展望を示していくだろう。
著者
古賀 瑞枝
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.1-18, 2013-03-01

福岡県久留米市の筑後川畔に鎮座する水天宮は、全国の水天宮の総本宮である。文政元年(一八一八)、時の久留米藩主有馬頼徳が江戸へ勧請、以後江戸の人々に篤く信仰された。江戸の流行神と見るむきもある。現在、水天宮は安産の守護神として信仰されるが、本来は水難除けの神であった。水難よけの神が、なぜ安産の神となったのか。また、高度に医療が発達した現代にあって、安産の神が信仰されるのはなぜか。これを明らかにするため、まず、久留米での初期の水天宮信仰について紹介する。次に江戸での信仰、近代に入ってからの信仰、当時の家族と社会について考察する。資料として江戸時代の随筆や日記、明治からは戯作・小説・新聞記事などを使用する。より庶民に近い資料を用いることで、市井の人々が水天宮によせた思いに迫れると考えるからである。その結果、人々の願いをすくいあげて変容していく神の有り方が浮かび上がったのではないかと考える。