- 著者
-
大利 恵子
- 出版者
- 佛教大学
- 雑誌
- 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
- 巻号頁・発行日
- vol.42, pp.53-68, 2014-03-01
九条家領土佐国「幡多郡」は、建長二年(一二五〇)に九条道家が残した惣処分状に唯一郡名で載せられた家領であり、これまで九条家とそこから分かれた一条家の一円領であったとされてきた。しかしながら、この家領の歴史的性格を明らかにするには、遠国土佐のさらに僻遠の地になぜ家領が形成されたのか、またその構造や領有等の基礎的な個々の問題についての議論が必要と考える。本稿は九条道家惣処分状の検討を主に、家領の性格が国衙領であるのか荘園であるのかが客観的に判断できないにも拘わらず、一門の間ではこの家領が鎌倉幕府からの支給地であり、個々の荘園ではなく「郡」として認識され続けたこと、その一方で家領「幡多郡」が郡域としての幡多郡と同一ではないことを確認した。「幡多郡」は幡多・高岡両郡に点在する荘園と国衙領の一部を抱え込んだ曖昧な領域であり、この家領に対する認識も漠然とした、多分に「観念的」なものであった可能性が指摘できよう。