- 著者
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鈴木 晃志郎
鈴木 玉緒
鈴木 広
- 出版者
- 首都大学東京
- 雑誌
- 観光科学研究 (ISSN:18824498)
- 巻号頁・発行日
- vol.1, pp.51-69, 2008-03-30
福山市鞆町は、古い城下町特有の道路狭小に由来する交通問題を解消すべく自治体が提示した港湾架橋道路案をめぐり、架橋推進派と架橋反対派との間で軋礫が続く場所である。本研究は当地における住民運動に焦点をあて、各種資料の内容分析および当事者への面接調査を通じて各々の住民運動の歴史的経過を詳細に検討した。その結果、鞆の住民運動のうち反対派のそれは、2000年ごろを境にその性格が大きく変化していることが明らかになった。2000年よりも以前、推進派と反対派の活動家は、港湾架橋に関しては相対する一方、まちおこし運動に起源をもつ古民家再生事業では協力する場面も見受けられた。しかし2000年以降、反対派の新しいリーダーの登場とともに、古民家再生事業においても架橋反対運動においても外部の力を取り込む方法が目立つようになり、これに伴って反対派の活動は地元で一種の孤立状況に陥りつつあることも明らかになった。推進派の行動様式は、閉鎖的な伝統的地域社会に由来するウチ/ソト意識や家父長制的性格をもっており、また彼らは地元の多数派であることもあって、世帯単位の署名集めや陳情などの伝統的な活動に終始した。他方、数の上で少数の反対派は、鞆の外部から有識者を呼び込み、マスコミを活用して町外へ援助を訴えることにより、その立場を補強しようとした。鞆の土木・建築景観を関心の対象とする工学系の有識者と、おのが立場を合理化する必要に迫られた反対派の利害が一致することにより、外部有識者は新たなアクターとして反対運動へと参入していくことになった。こうして町外のアクターと町内住民の大多数が架橋問題をめぐって対立する、やや奇妙な構図が成立したのである。