- 著者
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ヨコタ村上 孝之
- 出版者
- 日本スラヴ・東欧学会
- 雑誌
- Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
- 巻号頁・発行日
- vol.31, pp.23-34, 2011-03-31
ロシアの帝国主義的拡張に深い関心を寄せていた日本社会は、露土戦争の行方も大きな興味を持って観察していた。クリミア戦争の情報はまず英国の言説を通じて主に日本に移入し、そのあと、ロシア文学におけるその記録がそれに代わった。レフ・トルストイのセヴァストポール物語もその系譜に入るが、トルストイは社会主義者、白樺派、大正ヒューマニストらに与えた影響が顕著なので、日本におけるそのイメージは、非戦主義の権化ということになっている。しかし、彼は一貫して戦争文学に関心を持ち、創作を続けたし、セヴァストポールものにおいては、反戦思想は必ずしも明確ではない。また、イギリス文学におけるクリミア戦争の表象と比較したとき、トルストイの顕著な特徴は、戦争を合理主義的な観念から徹底して切り離して考えるという思想であった。これは彼の後期の非戦主義の思想に接合していく。トルストイの平和主義は西欧のそれに刺激を与えたものの、多くの反戦主義者はトルストイ流のアプローチに違和感を表明したが、それは西欧の平和主義が、戦争の合理的・理性的コントロールということに発想の原点を置いていたからである。日本の反戦主義者たちは、むしろ、トルストイ流の反合理主義に基づく非戦思想に大きな感化を受けていた。クリミア戦争の表象においてすでに見られた、平和主義における二つの理念の違いは、トルストイの思想的展開、そして、その日本のおける明治後期から大正にかけての受容においても、そのまま受け継がれていくのである。