- 著者
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杉浦 英樹
- 出版者
- 上越教育大学
- 雑誌
- 上越教育大学研究紀要 (ISSN:09158162)
- 巻号頁・発行日
- vol.29, pp.87-99, 2010-02-28
明石女子師範学校付属校園は主事及川平治のもとに大正自由教育の実践を展開したことで教育史上有名である。同校園では1904(明治37)年の創設当時からすでに幼小間に職務上、研修上の交流があり、1924(大正13)年には及川の指導によってプロジェクト法に基づくカリキュラム連携が試みられようとしている。筆者の目的はその経緯を明らかにすることにある。本稿では「保育方針並ニ幼稚園内規」を含む付属幼稚園所蔵史料の内容をめぐる解釈を通して、明治期における幼稚園カリキュラムの開発過程を保姆の視点から記述する。そして幼小教員が対等に交流するという当時としては稀有な状況で、同園のカリキュラムがどのようなものであったかについて、付属小学校の教育方針や及川の見解との関係において検討する。