- 著者
-
松井 健
- 出版者
- 環境社会学会
- 雑誌
- 環境社会学研究
- 巻号頁・発行日
- vol.11, pp.88-102, 2005
<p>自由主義経済体制の先進諸国においては,個人の所有権は,絶対的なものであるかのように法的に固く守られている。そうした法システムのもとでは,個人的所有権は処分,収益,使用権の束として,財産権の基盤とみなされている。しかし,今日でも,このような個人所有権が治安や政治的理由などによって十分に法的に保証されていないところが世界中に多くある。たとえば,パキスタンではこのような個人所有権は警察や法システムの不備や不正のため,しばしば脅威にさらされる。</p><p>アフリカの民族誌の例は,多くの社会が個人の所有権をむしろチェックして抑制する社会的な仕掛けをもっていることを教えてくれる。個人的所有権は,生存のために基本的な資源の所有者に権力集中をもたらすものとみなすそれらの社会は,個人所有権を無力化しようと試みているようにみえる。ときには,近代的な個人的所有権を構成する三つの権利がばらばらに分解されていたりする。狩猟採集,牧畜,焼畑をおこなうアフリカ諸社会は,個人的所有権をあいまいにし,無力化する装置をもっているといえる。</p><p>人間が資源に対してもつ権利のあり方は,その社会と個人の関係と表裏一体である。個人の自立と完全性をうたう社会においては,個人は十全な所有権を許されるが,個人が社会に従属するという位置づけがなされるところでは,社会が個人に十全な所有権を認めることはない。社会のなかにおける個人の位置が,個人的所有権の範囲と強さを左右するということができる。</p>