著者
田中 由貴乃
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.1-17, 2012-03-01

自由党総理板垣退助は、明治十五年末から翌年六月にかけ、フランスをはじめとするヨーロッパを巡見した。八年後に迫った国会開設を控えて、先進諸国の実情を視察するためであった。しかし、その時期や、費用の出資者をめぐり、先ず党内の反対派から疑惑が指摘され、内訌を招き、自由新聞からも馬場辰猪らが退社する結果になった。さらに、紛争は党外にも飛び火し、改進党からも批判を浴び、自由党との間に、それぞれの機関紙上で、論争が展開した。本稿では、以上の紛争と新聞論争の実態を明らかにしたい。

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明治44年3月13日、栗原亮一が死去。政党政治家で、明治15年には板垣退助の外遊に同行した。田中由貴乃「板垣洋行問題と新聞論争」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』40)曰く、「中村敬宇に啓蒙思想や英学を学び、愛国社再興から自由党結成に関与した板垣の腹心」。 https://t.co/VIbW5W4k0S
田中由貴乃「板垣洋行問題と新聞論争」(『佛教大学大学院紀要 文学研究科篇』40、2012年)は、自由党総理の板垣退助が明治15〜16年にかけてヨーロッパを視察した問題について、その是非や資金源などをめぐる党内外の紛糾・論争を分析。 https://t.co/rGjc54XpCe

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