- 著者
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川島 秀一
- 出版者
- 山梨英和大学
- 雑誌
- 山梨英和大学紀要 (ISSN:1348575X)
- 巻号頁・発行日
- vol.10, pp.33-48, 2011
周知のように、『注文の多い料理店』は、賢治文学の巻頭を飾る童話集であり、この「どんぐりと山猫」はその冒頭に配される物語です。もじどおり、賢治文学の出発を告げるテクスト。その〈広告文〉では、「山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけて行くはなし。必ず比較をされねばならないいまの学童たちの内奥からの反響です」と記されます。この《おかし》という言葉をめぐって、その招待の理由である〈裁判〉の中から立ちあらわれてくる《意味》の陥穽と、その世界のなかに漂い浮遊しはじめる〈いま〉の〈こども〉たち。変貌しはじめる世界を前に、自意識の翳りをおびはじめた主人公の一郎は、まさに〈おとな〉への境目に立っています。作品は、なによりも〈いのち〉の始原をめぐる〈問い〉をひそめつつ、《意味》に憑かれたようにして生きる《空虚な身体》を顕在化させ、〈いま〉という時間を徹底的に批判し、また相対化しています。本稿は、これら問題の分析とあわせて、賢治文学における「どんぐりと山猫」の意味についても考察しようとするものです。