著者
村井 尚子
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学研究紀要 (ISSN:21860459)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.203-212, 2013-01-31

親や教師として我々は、なぜ子どもをケアするだろうか。ヴァン=マーネンはそれは非媒介的で直接的な出会いによるとし、その契機をレヴィナスの「顔」の到来という理論によって読み解く。レヴィナスによれば、他者との出会いとは、その人の「顔」を見ること、私を呼ぶその人の声を聞くことである。そのことによって私は、不可避的に応答することを迫られる。つまりケアする責任を感じるのである。しかしデリダによれば我々は、いっときには一つのこと、一人の他者のことしかケア(気にかけることが)できない。他の多くのケアを必要としている他者への責任を担えないという事実は、我々に倫理的痛みをもたらす。しかし、ヴァン=マーネンはその痛みこそを大切にする。教師は特定の生徒の「顔」に向き合っていると感じ、その生徒について気にかけているからこそ、自分が責任を負っている多くの、ときに「顔のない」他の生徒すべてに対して繊細でいられるのである。

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