- 著者
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森山 清徹
- 出版者
- 佛教大学
- 雑誌
- 仏教学部論集 (ISSN:2185419X)
- 巻号頁・発行日
- vol.97, pp.1-27, 2013-03-01
ダルマキールティのVadanyaya (VN)には<全体性(avayavin)>を始めとするヴァイシーシカ説批判が表されている。そこでは仏教徒にとり非存在であるものに関して、いかに無なる言語行為の確定を導き得るかが大きな争点となっている。プラマーナにより知り得ないことを根拠に<全体性> の無を確定する際、肯定、否定を内容とする無知覚によるとするが、シャーンタラクシタは、その注釈Vadanyayavrttivipancitartha(VNV)において肯定を<自性の対立するものの認識>などとし、否定を<能遍の無知覚> などとしている。対立関係を明示することにより非存在の無の確定へと導いている。この点は、刹那滅論証と共に、後期中観派により、そのまま活用される。また、効果的作用によりグナとドラヴィヤとの存在性の区別無区別(bhedabheda)を吟味する際、ダルマキールティは、一因から多なる果が、多因から一なる果が起こることをもって、それがあり得ないことを論じている。この両者の因果論が、ジュニャーナガルバを始めとする後期中観派により批判的に取り上げられ、四極端の生起の無自性論として形成された。その源泉がVN にあることは、VNV を通じて明瞭に知られる。