- 著者
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渡邊 大門
- 出版者
- 佛教大学
- 雑誌
- 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
- 巻号頁・発行日
- vol.41, pp.19-34, 2013-03-01
本稿で取り上げるのは、かつて神戸市北区に所在した荘園の一つ摂津国山田荘である。本稿では、山田荘が登場する平安期を基点として、終焉を迎える織豊期までを取り上げ検討する。その中で、平安期から室町期については、山田荘と周辺の三荘園(淡河、押部、八多)との相論を踏まえ、材木資源が争点になったことに触れ、荘園間での紛争解決が困難になったことから、守護権力を必要としたことを論じた。戦国期以降、山田荘は別所氏の関係者が代官職を務めることによって、安定的な年貢の確保を可能にした。織田信長登場以後は、基本政策である寺社本所領安堵によって、年貢確保をいっそう安定的にした。しかし、別所氏が信長に叛旗を翻してから、年貢の確保は困難になったと考えられる。別所氏は信長の傘下に収まって以後、先述した信長の施政方針に従っていたが、やがてその方針に従えなくなり、叛旗を翻したと考えられる。