- 著者
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渡邊 大門
- 出版者
- 佛教大学
- 雑誌
- 佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
- 巻号頁・発行日
- vol.39, pp.167-182, 2011-03-01
美作国は古くから「境目の地域」と言われており、戦国期以降は尼子氏、毛利氏そして織豊期には織田氏などの大勢力の侵攻をたびたび受けていた。そして、何よりも美作国には、強大な領主権力が存在しなかったことが知られている。南北朝期以降、主に山名氏や赤松氏が守護として任命されたが、その関連史料はほとんど残っていないのが実状である。本稿で述べるとおり、美作国には中小領主が数多く存在し、各地で勢力を保持していた。彼らは判物を発給し、配下の者に知行地を給与するなど、一個の自立した領主であった。その勢力範囲は居城を中心としたごく狭い範囲に限られていたが、交通の要衝に本拠を構え、流通圏や経済圏を掌握したものと考えられる。近年における戦国期の領主権力の研究では、一国あるいは数ケ国を領する大名はもちろんであるが、一郡あるいは数郡程度を領する領主にも注目が集まっている。しかし、美作国ではそれらを下回る一郡以下を領する例が豊富である。そこで、本稿では斎藤氏、芦田氏の事例を中心とし、その所領構成や在地支配また地域社会との関わりを分析することにより、戦国期美作国における中小領主の特質を明らかにすることを目的とする。