- 著者
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進藤 康子
- 出版者
- 九州情報大学
- 雑誌
- 九州情報大学研究論集 (ISSN:13492780)
- 巻号頁・発行日
- vol.16, pp.77-88, 2014-03
江戸時代後期の博多の歌人大隈言道(おおくまことみち)は寛政十(1798)年生まれ、慶応四(1876)年没、七一歳。先祖は清原姓で、天武天皇第三皇子舎人親王の子孫であることを誇りとし、家集『草径集』には、清原言道とも記す。黒田藩士二川相近(ふたがわすけちか)のもとで、書や和歌を学ぶ。家業を弟に譲り、専ら和歌の師として福岡今泉の自宅「ささのや」にて門下歌会を開き活動する。日田の広瀬淡窓にも師事する。『草径集』を出版するため大坂に登り、そこで緒方洪庵、萩原広道、中島広足、広瀬旭荘らと交流する。門下には野村望東尼など。本稿において、門下歌会に於ける添削指導の実態を明らかにし、門人への書簡資料や、新たに見つかった月ヶ瀬の宿帳の資料等から類推できる大坂での活動を新出資料として示した。また、言道の歌集出版前後の歌稿資料や、『ひとりごち』『こぞのちり』などの歌論をもとに、年譜形式で言道の事蹟を記し、文事を顕彰、言道の年譜を足掛かりとして、更に幕末歌壇の動向と展望を知る基礎資料として示した。