著者
横山 剛
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1212-1216, 2014

塞建陀羅の記した『入阿毘達磨論』は有部アビダルマの煩雑な教理を纏めた優れた撮要書として重視される.同論はアビダルマ後期に属することが指摘されるが,更に踏み込めば,有部の代表論書である『倶舎論』との先後関係が問題となる.『入阿毘達磨論』の結語は過度な分析や論争により教理が煩雑化することへの危惧を述べるが,同論が『倶舎論』以前の成立であれば,以上は『婆沙論』等の先行する有部論書に向けられたものとなり,『倶舎論』以後の成立であれば,同論における世親の有部批判を強く意識していることが予想される.このように,二論書の先後関係は『入阿毘達磨論』の成立に関する本質的な問題に結びつく.しかし,撮要書である『入阿毘達磨論』は有部の標準的な教義により構成されるため,先後関係の決定は容易ではない.一方,玄奘門下の普光が記した『倶舎論記』は,倶有因のふたつの定義(互為果説・同一果説)を解説する中で,「『入阿毘達磨論』は両定義を示すが,同論は『倶舎論』以後の成立であり,互為果説は世親に学んだ」という倶舎師の説を紹介する.教理に基づいて二論書の先後関係を議論するのが難しい状況にあっては,『光記』の一節が有する価値は大きい.舟橋水哉『入阿毘達磨論講義』(大谷大学安居事務所,1940)は,互為果説が『倶舎論』に初出でないことを理由に,『光記』の記述の有効性を否定する.本稿は舟橋[1940]の否定を再検討し,先後関係に関する当該の一節の有効性について再考察することを目的とする.まずは『倶舎論』における倶有因の定義とそれに対する『光記』の注釈を確認し,当該の一節が述べられる文脈と普光の意図を明らかにする.その後に,舟橋[1940]の否定の問題点を指摘し,『光記』の伝える先後関係が何らかの伝承に基づく可能性を指摘する.さらに『入阿毘達磨論』の倶有因の定義における蔵漢訳の差異に着目し,当該の一節が普光自身の解釈を含んでいる可能性を指摘したい.

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