著者
西村 卓
出版者
同志社大学
雑誌
經濟學論叢 (ISSN:03873021)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.668-650, 2012-03

論説(Article)鉄道は人が行き来する道をいくつも寸断し敷設されることから、当然そこには踏切施設が設置された。そのうちでも、往来の頻繁な箇所ではその踏切のそばに官舎を建て、番人を住まわせ、家族総出で踏切業務にあたらせた。明治9(1875)年7月に開通した大阪向日町間(のちに京都まで延伸)に設置された踏切のいくつかも有人の踏切であった。そのうちの1つ、京都府乙訓郡上植野村にある踏切番の官舎で、明治17(1884)年8月に強盗事件が発生した。この強盗事件は未解決のままであったが、この事件を通して、我々は村に鉄道という形で入り込んだ近代の1つの姿を垣間見ることができ、さらには、鉄道番官舎のあらまし、種々の盗品の内容から、その生活ぶりをうかがい知ることができた。また、日本に鉄道が敷設された当初、踏切は鉄道側にあったが、所収の見取り図によれば、踏切は道路側に設置されている様子である。この変化は、日本の近代化が、その急速な進行のなかで、生活に即した近代化から、近代化に即した生活への転換を象徴する1つの姿かもしれない。When the railways were built in the modern society, railway crossings were built on many points where tracks intersected roads. In particular, crossings with heavy traffic were manned by flagmen, who resided near the crossings. In 1875, the railway between Osaka city and Mukoumati town opened to traffic; it had many railway crossings, some of which were manned. In August 1884, there was a robbery at one of the crossings located in Kamiueno village, Otokuni country, Kyoto prefecture. We seek to identify the actual scene involving the flagman's house, his family, and the railway crossing through a sketch of the scene.

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