著者
山本 めゆ
出版者
関西社会学会
雑誌
フォーラム現代社会学 (ISSN:13474057)
巻号頁・発行日
no.13, pp.5-17, 2014-05-31

本研究では、黄禍論の広がりととともにアジア人への排斥が進んだ20世紀初頭、南アフリカに移入した日本人の地位とその変遷に注目する。当国の移民政策に対して日本側はいかなる交渉、適応、抵抗を見せ、それは人種の境界をいかに動揺させたのか。反アジア主義的な移民法をめぐる研究史のなかにこれらの関心を位置づけながら、人種主義研究の観点から検討することを目指す。南アフリカでは19世紀後半よりインド人、20世に入って華人労働者が導入されたことによりアジア人排斥の動きが広がり、1913年にアジア人移民の規制強化を目的とする移民規制法が制定された。日本人がアジア人として規制の対象となったことに強い危機感を抱いた日本政府や領事館は、南アフリカ当局に対し粘り強い交渉を続けた。その結果、1930年に両国間で合意が交わされ、いくらかの制約を含みながらも、日本人の商人、観光客、研究者が禁止移民から除外されることとなる。その背景には日本側が渡航者の身分を商人や駐在員に限定し労働移民を排除するという方針を提示したことや、前年からの大恐慌で南アフリカが羊毛の市場開拓を迫られていたという事情もあった。本稿は、当時の日本人移民の地位について、バレットとローディガー(1997)によって提示された「中間性」概念を重視しながら粗描し、南アフリカの人種政策に対する日本側の批判とその限界について再検討を加える。

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こんな論文どうですか? 「中間性」の批判的検討 : 連邦期南アフリカにおける日本人とその待遇をめぐって(山本 めゆ),2014 https://t.co/DzYqd6QLqO

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