著者
大澤 真幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.20-32, 2007

かつてジャック・デリダは、形而上学における「音声言語中心主義」を批判した。だが、この批判は、日本語による思考には直接にはあてはまらない。日本語の思考は、文字(エクリチュール)に深く規定されているからである。このことは、日本語が、独特の書字体系、つまり「漢字かな混じり文」をもっていることと深く関連している。デリダは、彼が「脱構築」と名づけた強靱な思索を通じて、音声言語に対する文字の優越を何とか回復しようとしたのだが、日本語においては、こうした条件は、最初から整っていたのだ。この発表では、こうした特徴を有する日本語に基づく思考の「強さ」と「弱さ」について論ずる。また、この特徴が、日本社会の歴史的構造と相関していることを示す。さらに、議論は、この特徴が、明治以降の西洋文化の導入にどのように反響したかという問いへと移るだろう。この問いへの探究は、日本の思想、とりわけ日本の近代思想において、文学が中心的な影響力をもったのはなぜなのかということを解き明かすことにもなる。「近代文学(小説)の終焉」は、日本語にとって流行の盛衰以上のものだ。それは、日本語に基づく思考そのものの危機かもしれないからだ。

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