- 著者
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難波江 和英
- 出版者
- 神戸女学院大学
- 雑誌
- 論集 (ISSN:03891658)
- 巻号頁・発行日
- vol.61, no.2, pp.107-122, 2014-12
本稿は、ジャン・ボードリヤールの思想を時系列に即して解説・批判するシリーズの最終回である。今回のテーマはテロリズム、特に2001年9月11日の米同時多発テロをめぐる論考を取り扱う。テキストは、『テロリズムの精神』(2002年)、『パワー・インフェルノ』(2002年)、『世界の暴力』(2003年)、『暴力とグローバリゼーション』(2004年)である。但し『世界の暴力』は、『パワー・インフェルノ』の表現・内容と重複しているため、相互参照にのみ利用する。『テロリズムの精神』の斬新さは、米同時多発テロを「出来事の『母型』としてとらえた点にある。つまり、あのテロは、世界を全体化するグローバル・パワーを逆流させる供儀として、単一の価値観に支えられた世界秩序から、その普遍性を奪うすべての暴力を象徴している、ということである。『パワー・インフェルノ』はそこからさらに、ツインタワーの象徴性、米同時多発テロに関する仮説、他者の不在、を主たる論点として展開する。ツインタワーは、その双子性によって、二項対立を無効にするハイパーリアルの世界を象徴している。テロリストたちのターゲットは、まさにこの象徴性にあった。ボードリヤールは、そうした観点に立って、テロリズムという暴力を、世界システムにより他者性を奪われた、あらゆる文化による拒否の表現、自死を介した他者性の贈与とみる。『暴力とグローバリゼーション』は、ボードリヤールの日本での講演録であり、出来事、非・出来事、現代の暴力をメインテーマにしている。現代人は他の何ものにも還元できない出来事を情報へ変換して、それを記号化された現実として、つまり非・出来事として消費している。米同時多発テロでさえ、真の出来事として勃発しながら、情報処理され、いわゆる現実と置換されて、非・出来事へ転落していく。出来事の代替物として非・出来事を生産し、流通させるグローバル・パワーの膨張、そこに、ボードリヤールは「現代の暴力」を見る。