著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.26-37, 2003

私たちが教師として文学作品を授業で扱うとき、懸命にテクストの解釈にいそしむあまり、その結果としてたどりついた「すぐれた」テクスト解釈を良きものとする傾向はないだろうか。あるいは、教室での「話し合い」の末にたどりついた解釈を「共有」された解釈としてすべての学習者に強いてはいないだろうか。「すぐれた」解釈や解釈の「共有」を導くほどにテクストがタフなものである、ということを前提として、もしかするとそれがフラジャイルな(弱い)ものかもしれないという疑いを持たずにいるのではないだろうか。文学教育を営もうとして、私たちはテクストのフラジリティ(弱さ)をそこなっているのかもしれない。文学教育の根拠を問うために、私たちはテクストのフラジリティにどのように応じていくのか、という問いを考えていく必要がある。テクストのフラジリティを意識するということが、「見慣れたもの」をはじめて見るようにテクストを理解しようとする構えを導くことになるからである。

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こんな論文どうですか? テクストのフラジリティと文学教育の根拠(<特集>日本文学協会第57回大会報告(第一日目)・総会)(山元 隆春),2003 https://t.co/SxDo7fl1zF 私たちが教師として文学作品を授業で扱うとき、懸命にテク…
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