著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.49-57, 1996-01-10 (Released:2017-08-01)

<誤読>が積極的な意味を帯びるのは、それが私たちの既存の価値観を揺さぶる時である。本稿においては、<誤読>を単に正しい読みに対立する概念としてではなく、代案としての様々な読みを示す営みを指すものとして捉えた。リチャーズやリファテールの読みの理論を批判的に捉えた上で、主としてスコールズの<対抗的に読むreading against>という考え方に依拠しながら、一次的なテクストに対するもうひとつのテクストを読者が産み出し、その営みを通じて読者としての主観性を形成することが、出来事としての読みを誘うことに繋がると論じた。
著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.26-37, 2003

私たちが教師として文学作品を授業で扱うとき、懸命にテクストの解釈にいそしむあまり、その結果としてたどりついた「すぐれた」テクスト解釈を良きものとする傾向はないだろうか。あるいは、教室での「話し合い」の末にたどりついた解釈を「共有」された解釈としてすべての学習者に強いてはいないだろうか。「すぐれた」解釈や解釈の「共有」を導くほどにテクストがタフなものである、ということを前提として、もしかするとそれがフラジャイルな(弱い)ものかもしれないという疑いを持たずにいるのではないだろうか。文学教育を営もうとして、私たちはテクストのフラジリティ(弱さ)をそこなっているのかもしれない。文学教育の根拠を問うために、私たちはテクストのフラジリティにどのように応じていくのか、という問いを考えていく必要がある。テクストのフラジリティを意識するということが、「見慣れたもの」をはじめて見るようにテクストを理解しようとする構えを導くことになるからである。
著者
山元 隆春
出版者
広島大学大学院教育学研究科
雑誌
広島大学大学院教育学研究科紀要. 第二部, 文化教育開発関連領域 = Bulletin of the Graduate School of Education, Hiroshima University. Part. 2, Arts and science education (ISSN:13465554)
巻号頁・発行日
no.52, pp.73-78, 2003

In this Paper, Peter Rabinowitz and Michael Smith's Authorizing Readers (1997) was considered as a fundamental work for teaching of fictional texts. Rabinowitz and Smith emphasized the dialogical relationships between "the authorial reader" and "the narrative reader" in reading acts of a practical reader. Rabinowitz argued that if readers failed to playing either "the authorial reader" or "the narrative reader", they would take any misreadings such that what he called "Quixotic" or "Emma-Bovary" or "Blimberism." On the other hand, Smith argued if readers wouldn't play as "the narrative reader" but as "the authorial reader," they couldn't get the point of the story, and couldn't respect not only characters and narrator but also the author of the story. Rabinowitz also emphasized the rhetoric of fragile texts, and suggested that we teachers of fictions must resist what he called "the Doctorine of the Macho Text," and consider the fragilities of fictional texts for comprehending any other reader's comprehention. In conclusion, some suggestions for reconstructioning teaching and learning of fictions were suggested as follows ; 1)For respect to the author, we must recognize the effectiveness of "the authorial reader" concept in reading act. ; 2)For respect to the narrators and the fictional characters, we must develop literary reading process founded by the triadic relations with practical reader, "the authorial reader" and "the narrative reader" ; 3)For respect any other peer-readers, we should develop teaching practices holding perspectives to fragilities of fictional texts.
著者
山元 隆春
出版者
広島大学大学院教育学研究科
雑誌
広島大学大学院教育学研究科紀要. 第二部, 文化教育開発関連領域 = Bulletin of the Graduate School of Education, Hiroshima University. Part. 2, Arts and science education (ISSN:13465554)
巻号頁・発行日
no.51, pp.91-100, 2002

In this Paper, Peter Rabinowitz and Michael Smith's Authorizing Readers (1997) was considered as a fundamental work for teaching of fictional texts. Rabinowitz and Smith emphasized the dialogical relationships between ""the authorial reader"" and ""the narrative reader"" in reading acts of a practical reader. Rabinowitz argued that if readers failed to playing either ""the authorial reader"" or ""the narrative reader"", they would take any misreadings such that what he called ""Quixotic"" or ""Emma-Bovary"" or ""Blimberism."" On the other hand, Smith argued if readers wouldn't play as ""the narrative reader"" but as ""the authorial reader,"" they couldn't get the point of the story, and couldn't respect not only characters and narrator, but also the author of the story. Rabinowitz also emphasized the rhetoric of fragile texts, and suggested that we teachers of fictions must resist what he called ""the Doctorine of the Macho Text,"" and consider the fragilities of fictional texts for comprehending any other reader's comprehention. In conclusion, some suggestions for reconstructioning teaching and learning of fictions were suggested as follows; 1) For respect to the author, we must recognize the effectiveness of ""the authorial reader"" concept in reading act. ; 2) For respect to the narrators and the fictional characters, we must develop literary reading process founded by the triadic relations with practical reader, ""the authorial reader"" and ""the narrative reader""; 3) For respect any other peer-readers, we should develop teaching practices holding perspectives to fragilities of fictional texts.
著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.1-9, 1998

本論文においては、「学び」(学習)という出来事が成り立つために果たす文学の役割を考察し、国語教育において<文学にできること>を求める手がかりを探った。ルイーズ・ローゼンブラットの読みの理論を中心に、小森陽一・佐藤学・紅野謙介・田中実・デヴィッド・ブライヒ及び認知科学における構成主義理論を検討しつつ、主に教室において読みの<出来事>性を喚起する誘因をテクストの呼びかけの中に探る必要性を論じた。
著者
山元 隆春
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

児童・生徒の「読解力」育成のために、小学校から高等学校までの児童・生徒の読者反応を多角的に分析し、読者反応の個人的構成と社会的構成との関係性を解明し、「読むこと」の授業における足場づくりのための枠組みを構築することを目的とした。国内外の国語教育学及び読者反応研究関連の文献をもとにして研究を進めた。絵本などをもとにした「読解力」育成のための学習開発論を構築した。米国の理解方略指導論に学びながら「読解力」の足場づくりとしての理解方略指導のあり方を探り、さらに多様な学習ニーズに応じて「読解力」を育成するための支援策を提言し、「読むことの指導」をどのように教えるのかということについての見通しを示した。
著者
山元 隆春 居川 あゆ子
出版者
広島大学大学院教育学研究科附属特別支援教育実践センター
雑誌
広島大学大学院教育学研究科附属特別支援教育実践センター研究紀要 (ISSN:18835406)
巻号頁・発行日
no.14, pp.43-54, 2016-03

本論文は,国語科の「読むこと」の学習指導における「アクティブ・ラーニング」の実践形態を実践的に探究するものである。国語教科書教材「冥王星が「準惑星」になったわけ」を起点とする単元の実践とその検討を通して,そのことによって,学習者のさまざまなニーズに応じた,多様な学びを成り立たせる国語科での「アクティブ・ラーニング」成立の条件を探った。In this paper, a plot of lesson for eliciting students' active learning was constructed and examined the process and outcomes of the unit and lessons implemented in any junior high Japanese classes. Any conditions for creating active learning in the context of learning reading any Japanese expository texts as follows; finding out many texts for evoking each student's interests; showing appropriate tasks linking each student's everyday life; struggle with reading and writing and thinking, etc.
著者
山元 隆春
出版者
広島大学大学院教育学研究科
雑誌
広島大学大学院教育学研究科紀要 第二部 文化教育開発関連領域 (ISSN:13465554)
巻号頁・発行日
no.58, pp.83-92, 2009

A purpose of this paper is to investigate on the source of the guides for learning in Junior high school Japanese language classes of Hama Ohmura, an excellent secondary Japanese teacher. In order to Ohmura's testimony, her "guides for learning" were influenced by any American textbooks and workbooks for English language learning in 1940s-50s. One series of textbooks, Literature: a series of anthologies (A. E. Cross et.al eds.), which is one of the American Educational Library collections, founded in Hiroshima University Library, was analyzed in this paper. By comparing "the study questions" in the textbooks with Ohmura's "guides for learning" in her practical reports, any considerations were founded. At least, Literature: a series of anthologies seemed to give any hints for "guides for learning" by Ohmura, however, it would be not a only source of it, but also any other textbooks an workbooks used in USA would give any cues for generating Ohmura's ideas of "guides for reading" in 1950s. In addition, Such considerations in this paper would give a significant starting point for investigating a post-WW2 history of Japanese language textbooks and instructions.
著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.8, pp.53-62, 2007-08-10 (Released:2017-08-01)

なぜか。「テクストと読者との相互作用過程」において読者のうちに「作品」がどのように生み出されるかということが文学教育においては重要である。それらの半分は書き手の差し出したものに、そして半分は読者の抱いているものに左右される。わたくしたちは書き手の残した記述をもとにして、そこに描かれている<表徴>を捉え、自らの読みをつくりあげる。読者であるわたくしたちが、幾たびも読み返すことによって、その捉え方は変わっていく。それはある意味でテクストの送り手を「裏切る」過程なのかもしれない。そうやってテクストの送り手を「裏切る」ことが、わたくしたちの「作品」を生み出し、読みをつくっていく営みでもある。「テクスト」はわたくしの「失いつづけたすべてのもの」を指示対象とする。そして、わたくしがわたくしのなかに構成したそれを読むということが、わたくしたちの「行くべきところ」を探る営みとなるのである。それが、須貝千里の言う、「あらゆる言葉」が「対象そのもの」との「隔絶に晒されている」事態を生き延びる道であり、一筋の「希望」であると考える。
著者
吉田 裕久 山元 隆春 朝倉 孝之 岡本 惠子 黒瀬 直美 新治 功 西原 利典 増田 知子 三根 直美 宮本 浩治
出版者
広島大学学部・附属学校共同研究機構
雑誌
学部・附属学校共同研究紀要 (ISSN:13465104)
巻号頁・発行日
no.38, pp.111-117, 2009

本研究は高等学校の国語基本教材「羅生門」において, どのような読みの学力を育成することができるか, それを授業を通して明らかにすることを目的としている。方法として以下の3点を設定した。①初読における生徒の読解力の状況を調査する。②学習後, 生徒の読みがどう変化したか, 検討する。③どのような授業アプローチにより, 読解力が身につけられたのか, さらに基本教材においてどんな学力を身につけていくことが可能なのか検討する。そして授業実践として, 方法・形態の異なる3つの授業を設定した。1は, 「境界の物語として読む」ことを明示した上で, プレテクスト『今昔物語集』とテクスト「羅生門」の位置づけから, コードや象徴を読み解く方法である。2は, 「認識主体の育成をめざした」授業で, 「何が問題なのか」を発見する授業である。3は, グループ学習で, 「下人の行方を考える」学習課題を設定し, テクストから検証する方法である。これらの実践は, 「要点駆動の読み」を生み出すことをめざしたものともいえる。常に叙述を吟味しながら, 小説を読むことを探求していきたい。
著者
吉田 裕久 大槻 和夫 植山 俊宏 三浦 和尚 位藤 紀美子 山元 隆春 牧戸 章 吉田 裕久
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1997

本研究では、3年間にわたって、説明的文章・文学作品・文章表現・音声表現の四つの領域班に分かれて、それぞれ予備調査・本研究を実施しつつ「国語能力の発達」に関する実証的な研究を進め、国語科教育改善への糸口を見出そうとした。本研究で得られた各領域班の研究から導かれた知見を一言で集約することはむずかしい。が、得られた成果を仮に集約してみると、次のようなことを言うことができる。1音声表現領域班が追究した対話能力の研究なかでの、「共同案」を組替えながら話し合いを行っていくことのできる力と、文学作品領域班の調査で得られた小・中学生の「続き物語」のなかに見られた、参加者的スタンスと観察者的スタンスをバランスよく選択していくことのできる力は、どこかでつながりあっているのではないだろうか。これは、文集表現領域班における調査結果についてもあてはまることである。さらに、説明的文章領域班の考察のなかで明らかになった、小学校6年以降の「メタ認知能力」の伸長の問題とも、これはリンクすると言えるのではないだろうか。2.対象や他者に同化・一体化していくということが可能になるかどうかというところに、少なくとも学童期初期の国語能力の発達の「峠」のようなものがあるように思われる。その同化・一体化が果たされた後、再び自己はことばを媒介としながら対象や他者とは異なる、自らの内部の何かを捉えることになる。それを意識しうるか否か、表現しうるか否か、ということがその次の「峠」なり「節目」なりになる。3.このような営みのなかで、その主体が関心を差し向ける「焦点」は移り動き、関心の幅と深さのようなものが、少しずつ少しずつその域を広げていくのではないか。対象や他者に同化・一体化しようとしたときとは異なった意味で、対象や他者をより広いパースペクティヴで捉えることができ、それを理解したり、その理解のもようを報告できるかどうかということが、その次の「節目」となるように思われる。4.対象や他者の包括的な理解と平行して、自己の内部の拡張もおこなわれるはずである。対象や他者の認識が構造化され、さらに自己の内部で追い育った独自な世界を、対象や他者に匹敵するものとして構築することができるか否かということが、おそらくその次にくる発達上の問題である。5.この科研の各領域班の調査研究で、とくに小学校高学年から中学生にかけて観察された、発達上の<停滞>や<ゆるみ>とも解釈される事象は、子どもの内面に目をやれば、そのような内部での葛藤が営まれているものであると考えることもできる。詳細な研究成果は、平成9年度末にまとめた中間報告書に続き、平成11年度末に刊行する最終報告書『国語科教育改善のための国語能力の発達に関する実証的・実践的研究II』(A4版160頁)に集約した。
著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.49-57, 1996-01-10

<誤読>が積極的な意味を帯びるのは、それが私たちの既存の価値観を揺さぶる時である。本稿においては、<誤読>を単に正しい読みに対立する概念としてではなく、代案としての様々な読みを示す営みを指すものとして捉えた。リチャーズやリファテールの読みの理論を批判的に捉えた上で、主としてスコールズの<対抗的に読むreading against>という考え方に依拠しながら、一次的なテクストに対するもうひとつのテクストを読者が産み出し、その営みを通じて読者としての主観性を形成することが、出来事としての読みを誘うことに繋がると論じた。
著者
大槻 和夫 山元 隆春 牧戸 章 植山 俊宏 位藤 紀美子 吉田 裕久
出版者
広島大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1994

本科研の最終年度である平成8年度は,本プロジェクトの集約をめざして、本調査およびその分析に取り組んだ。また,新たに国語能力全体の発達に関わる総合モデルが提出され,プロジェクト全体の研究仮説とするための理論的整備が進められた。これまで取り組んできた説明的文章班,文学作品班,文章表現班,音声表現班の4領域による本調査の計画・実施・分析を行った。その際,予備調査の結果を分析・考察した結果得られた研究仮説を整備し,本調査の調査仮説とした。それをもとに大規模・広域の本調査を計画し,実施した。本調査は,おおむね平成8年末から9年初頭という年度末に行われたため,現時点で集計・分析は継続中である。本年度の研究成果を大きくまとめると次の2点に集約される。1.前年度までの調査研究によって明らかになった各領域における国語能力の発達の諸特徴を,より多くのデータをもとに確かめることができた。2.予備調査・本調査を通じて,各領域班ごとに取り組んできた研究の成果を,「統合モデル」というというかたちで,仮説の域を出ないながらもまとめることができた。本調査についての精細な考察は今後を待たねばならないが,本調査設計時に設定した研究仮説との照合を中心に得られた研究成果を研究成果報告書にまとめている。また,一部の領域班では,集計・分析の所要時間の都合上,収集したデータ全体のうち一部分を取り上げて集計・分析し,その後全体に広げていく方法を採っている。