著者
牧野 和夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学
巻号頁・発行日
vol.50, no.7, pp.21-28, 2001

法華山寺関係周辺の日本僧が宋朝一切経の補刻事業に与かり、その時期も、一二三四年以降、一二四四年以前という約十年に限定できることは、ほぼ確実となってきた。淳祐二年(一二四二)から淳祐五年(一二四五)、この前後に東禅寺版の補刻事業に奔走していた中国の勧進僧道永の存在が金沢文庫蔵宋版一切経の調査で既に知られる。東禅寺前知蔵の道永が、同時期の日本僧の補刻事業への捨財援助を承知していない筈はなく、中国側の道永の一切経補刻の勧縁慕財の活動は緊密に法華山寺慶政等の捨財慕縁の「営為」と結び付いていたことは確実となる。東寺蔵一切経の補刻捨財刊語の最も新しい年記は、甲辰(一二四五)年で、西山法華山寺慶政による重要な聞書、書陵部蔵『漂到琉球国記』一巻が成立した年であり、「甲辰」の年は西山法華山寺関係の僧侶に係る捨財補刻が入港先の「福州」で進行していたのである。法華山寺の慶政の住房に於いて成立した『漂到琉球国記』は、積極的にこの補刻事業版一切経舶載事業の促す副産物として読み解くべきであろう。更に、琉球に関する「知識」の流入を、延慶本『平家物語』に探る。

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こんな論文どうですか? 日宋の「版刻」を結ぶもの : 十三世紀中後期の「補刻葉」に探る(<特集>中世日本国家の「内」「外」)(牧野 和夫),2001 https://t.co/srNJrN9P6W

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