著者
兵藤 裕己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.28-39, 1989

近世の職人仲間でむすばれた講のひとつに、太子講がある。おもに大工・左官などの建築関係の職人によっておこなわれるが、それは、中世の各種職人、「道々の者」たちに担われた聖徳太子信仰のなごりといえるものである。その具体的な原型は、中世の修験・山伏の徒に率いられたタイシの徒にあるだろうか。また、律僧の太子堂に結縁した各種職人や賎民、あるいは、聖徳太子像をまつる一向宗寺内に結集した手工業者や行商人たちも、中世における太子講衆の原像である。たとえば、近世の木地屋が、木地職プロパーにおいて管理・統制される背景には、社会的分業を身分として固定化させる幕府の支配政策があったろう。諸国木地屋のあいだに、小椋谷の『惟喬親王縁起』が(太子信仰を駆逐するかたちで)流布した過程とは、要するに、中世的な「諸職諸道」が分断・解体される過程であり、それは、近世権力による一向宗寺内-そのイデオロギー的中核となった太子講衆-の解体という政治史的事件とも表裏する問題であった。

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