著者
兵藤 裕己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.66, no.1, pp.2-13, 2017-01-10 (Released:2022-02-02)

『源氏物語』や『平家物語』の語り(narrative)について、風景や装束が記述的・事実確認的ではなく行為遂行的(performative)に語られること、それに関連して、語り手と読者および作中人物の共主観的(相互主観的)なあり方について述べた。また、そのような物語の語りが、近世の出版メディアのなかで変容することを、近松門左衛門の作者署名の問題や、洒落本・人情本の自己言及的な語りの問題として論じ、末尾で、江戸後期の戯作の語りが、明治期の尾崎紅葉や泉鏡花の語りに接続することを述べた。
著者
池上 良正 中村 生雄 井上 治代 岡田 真美子 佐藤 弘夫 兵藤 裕己 松尾 剛次 池上 良正 中村 生雄
出版者
駒澤大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

「供養の文化」を日本の民俗宗教の重要な特徴のひとつとして位置づけることによって、古代・中世から近現代にいたる、その歴史的変遷の一端を解明することができた。さらに、フィールドワークを通して、中国・韓国を含めた現代の東アジア地域における「供養の文化」の活性化や変貌の実態を明らかにした。
著者
兵藤 裕己
出版者
学習院大学
雑誌
学習院大学国語国文学会誌 (ISSN:02864436)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.1-7, 2011
著者
兵藤 裕己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.28-39, 1989

近世の職人仲間でむすばれた講のひとつに、太子講がある。おもに大工・左官などの建築関係の職人によっておこなわれるが、それは、中世の各種職人、「道々の者」たちに担われた聖徳太子信仰のなごりといえるものである。その具体的な原型は、中世の修験・山伏の徒に率いられたタイシの徒にあるだろうか。また、律僧の太子堂に結縁した各種職人や賎民、あるいは、聖徳太子像をまつる一向宗寺内に結集した手工業者や行商人たちも、中世における太子講衆の原像である。たとえば、近世の木地屋が、木地職プロパーにおいて管理・統制される背景には、社会的分業を身分として固定化させる幕府の支配政策があったろう。諸国木地屋のあいだに、小椋谷の『惟喬親王縁起』が(太子信仰を駆逐するかたちで)流布した過程とは、要するに、中世的な「諸職諸道」が分断・解体される過程であり、それは、近世権力による一向宗寺内-そのイデオロギー的中核となった太子講衆-の解体という政治史的事件とも表裏する問題であった。
著者
兵藤 裕己
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.9-24, 1986

相反する二つの論理が、位相を異にしながら平家物語で重層する。それはまず、序章に仕組まれた王権因果論と、無常感の印象である。作品の次元でいえば、歴史と物語、日常と非日常、中央と辺境であり、成立論的にいえば、モノの鎮めと鎮まらざるモノの語り、寺院権門とそれに隷属する語り手、すなわち文字と語りの問題に位相的に重なり合う(平家物語が語りと文字の出会いの文学であるとは、じつはその危うい<歴史>モノ語りの構造と不可分の問題であった)。そしてにもかかわらず、平家物語が(最終的には)語り手の側に属する以上、語り手の側の論理は深層から作品をささえている。物語の<歴史>書的な外皮が内側から相対化され、史実と虚構日常と非日常という二元的境界が反転する。それは平家物語の作品構造であるし、文字テキストを不断に変形・相対化するモノ語りの論理であった。
著者
兵藤裕己監修
出版者
東京美術
巻号頁・発行日
2004

1 0 0 0 王権と物語

著者
兵藤裕己著
出版者
青弓社
巻号頁・発行日
1989
著者
兵藤裕己著
出版者
吉川弘文館
巻号頁・発行日
2000

1 0 0 0 太平記

著者
兵藤裕己校注
出版者
岩波書店
巻号頁・発行日
2014

1 0 0 0 後醍醐天皇

著者
兵藤裕己著
出版者
岩波書店
巻号頁・発行日
2018