著者
砂川 博
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.10, pp.64-73, 1988

後醍醐天皇、楠木正成、護良親王の間に、西大寺流律僧殊音文観が介在したことは周知の事実である。その文観に対する『太平記』の筆致は概ね好意的で、背後に西大寺流律僧の関与が思われる。また、楠木正成の千早・赤坂合戦談についても同様のことが指摘できる。一方、『太平記』成立に深く関わったと目される恵鎮円観に対する筆致も極めて好意的で、絶賛の趣をもつ。恵鎮は、黒谷流の天台円頓戒を伝持する律僧で、法勝寺は鎮護国家の道場であった。『太平記』は国土安穏・天下泰平の祈祷に従った西大寺流律僧らの様々の語りなどに拠りつつ、同じ職掌をもつ天台系の律僧の手によって、太平への祈りをこめて作られたのではないか。

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