- 著者
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鳥光 美緒子
- 出版者
- 教育思想史学会
- 雑誌
- 近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
- 巻号頁・発行日
- no.14, pp.29-34, 2005
シェリングとベンヤミン、この二人の時間論を対象に、「決断こそが本来的時間を惹起させる」という両者に共有される思想の当否を問うことが、池田論文の課題であるという。だが、なぜシェリングとベンヤミンなのか。決断、本来的時間、これらの用語がなによりもふさわしいのは、シェリングでもベンヤミンでもなく、ハイデガーだろう。それにもかわらず、池田論文は、ハイデガーとシェリングでも、ハイデガーとベンヤミンでもなく、シェリングとベンヤミンの時間論を、比較思想史的な考察の対象として設定する。以下の私のコメント論文では、池田論文の隠れた主役として、ハイデガーを想定する。ベンヤミンをハイデガー的時間論の近傍におき、ベンヤミンを実存哲学的、実践哲学的に問題にするという、池田氏のアプローチがどのようにして成立したのか、またそれはベンヤミンの思想解読として果たして実り豊かなものといえるのかどうかが、以下において問題にされる。