- 著者
-
金森 修
- 出版者
- 日本生命倫理学会
- 雑誌
- 生命倫理
- 巻号頁・発行日
- vol.24, no.1, pp.68-75, 2014
本稿は現代の生命倫理学でも重要な位置を占める<人間の尊厳>という概念が、ヨーロッパの歴史の中でどのような文脈の中で生まれ使われてきたのか、その主要な流れを最低限確認することから始めた。その際、インノケンティウス三世の<人間の悲惨>論に重きを置いた記述をした。また、ピコ・デラ・ミランドラの高名な一節が含意する、一種の知性鼓舞論が、純粋に世俗的な位相のみにおいて<人間の尊厳>概念を理解することを困難にしているという事実に注意を喚起した。それらの検討を通してわれわれは、この概念が十全に機能するためには、神のような超越的存在との関係における人間の定位を必要とするということを示した。では現代の世俗的社会の中で、この概念の使命は既に終わったと考えるべきだろうか。いや、そうは考えない。この神的背景を備えた概念は、世俗的微調整の中でその神的含意を解除されながらプラグマティックに使用され続けるという趨勢の中でも、依然として人間存在の超越性を示唆し続けることをやめないだろう。それこそが、この概念の独自な価値なのである。