著者
竹本 太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.111, pp.109-177, 2004-06
被引用文献数
1

1.目的 明治期における学校林について詳細に調べられたものはこれまでほとんどない。本稿は,明治地方自治制が生み出した,自然村と行政村の二重構造の中で,1)なぜ学校林設置が導入され,2)どのように普及し,3)どのような役割を果たしたのか,を明らかにする。2.方法(時期区分)市制町村制により合併町村が行政村としてあらわれた時期から,日露戦後の地方改良事業を通じて行政村が定着していったとされる時期までを研究の対象とする。ただ,それ以前から学校林は設置されているため,学制発布から市制町村制までを前史として扱うことにした。第1~5期については,明治政府の学校林設置施策の変化を追う形で区分した。まず,学校基本財産制度が始まった地方学事通則制定以降を第1期とし,次に,文部省からの「学校樹栽日」通達以降を第2期とした。さらに,国有林野法による小学校基本財産への不要存置国有林野売り払いをはじめとする一連の動きを第3期とし,その中でも特に日露戦争を機に普及した学校林設置を第4期とした。最後に,地方改良事業に伴う部落有林野統一を通じて学校林が設置されていく時期を第5期とした。この期間における学校林設置を,収集した資料をもとに,1)設置政策の変遷,2)設置の実態,から明らかにする。This paper intends to clarify 1) why school forests were introduced, 2) how they have spread and 3) what kind of role they played, in the dual structure of natural villages and administrative villages, which the Meiji local autonomous system produced. In the very early period (from 1872 to 1889), school paddies and school forests were introduced as a way of making generating school funds. Though most of them were set up on lands owned by natural villages, some of them were set up on lands sold by the Meiji government. In this period the number of school paddies was larger than that of school forests. In Aomori Prefecture especially, school paddies developed rapidly.

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