著者
蒲谷 肇
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.67-82, 1988

千葉県南部の常緑広葉樹林(0.18ha)の下層植生を1971年,1976年,1986年の3回調査した。1986年には,それ以前にくらべ,下層植生に変化が見られた。変化はニホンジカが嗜好する種で大きいことから1980年頃から増加したニホンジカによるものと推測された。林床ではテイカカズラ,アオキ,アカガシ,ヤブコウジ,フユイチゴが大幅に減少した。低木層のアオキ,カクレミノ,クロガネモチについては樹高が2m未満の個体は絶滅した。非嗜好性植物として知られているイズセンリョウ,ホソバカナワラビ,ウラジロ,ヤブニッケイ,アセビの増減は少なかった。嗜好性植物とされるサカキ,ヒサカキ,ヤブツバキ,モチノキ,ヤブムラサキの本調査地での食害ははっきりしなかった。これは本地域のシカの生息密度が低いことが関係していると思われる。
著者
春田 泰次 仁王 以智夫
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.117-133, 1997

スギ落葉の分解にともなう無機成分の溶出パターンについて検討をおこなった。新鮮落葉を入れたポットを林床におき,5年間にわたって落葉から流出する無機成分の分析を行った。いずれの成分にも溶出パターンには季節変化があり分解が活発に進行する夏期に溶出量が多い傾向があった。Caは最初の1年間に溶出が特に多く5年間の全溶出量のおよそ55%がこの期間に失われた。その後はほぼ一定の割合で溶出が続いた。MgはCaと同様のパターンを示し,最初の1年間で73%が流出したが,それ以降の流出量はごく僅かであった。CaとMgのこのような違いはスギ落葉に含まれる両成分量の差によるものと考えられた。Kはごく初期に大部分が溶出し,それ以降の溶出は僅かであった。Kの溶出パターンは分解にともなうものではなく,むしろ溶脱によるものと考えられた。Pも分解初期の夏期に増大する傾向を示した。Pの溶出はほとんどが落葉の分解の中期(F層に相当する)段階に限られ,それ以降は流入量が流出量を上回ることが多かった。Na,Feについてははっきりした傾向を示さなかった。Cl-,SO2-4は分解の初期は流入量が流出量を上回ったがそれ以降は明確な傾向を示さなかった。
著者
PALETTO Alessandro SERENO Cristina FURUIDO Hiromichi
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.119, pp.25-44, 2008

The analysis of the evolution of forest management in the historical periods is an important tool in estimating changes of society’s perception of forest resources. This paper describes in brief the historical evolution of forest management in Europe and in Japan and the motivations of these changes. In particular, the paper analyses three periods: pre-industrial (from the Middle-ages until the mid-17th century), industrial (from the mid-17th until the mid-20th century) and the postindustrial period (from the late-20th centure until today). For every period it describes the main management systems adopted and the theoretical aspects that have determined their development.
著者
井出 雄二 黄 バーナード永龍 指村 奈穂子
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.128, pp.87-120, 2013-02

江戸時代中期以降伊豆韮山代官であった江川家に伝わる文書の内,「天城山御林改木数字限仕訳帳」を読み解き,1811年における天城山の森林の状態を考察した。仕訳帳の調査範囲は暖温帯から冷温帯までの広い範囲を含んでいた。また,仕訳帳には調査面積に関する記述はなかったが,仕訳帳の地名と現在の地名との対応から,その範囲は少なく見積もった場合でも500ha程度であることを示した。樹種構成は,今日の天城山の天然林とほとんど変わらなかったが,立木密度は100本/ha以下で今日の天然林の平均500本/haと比べると大変疎であり,大径木が優占した林相であったと推定された。これは,目通り直径14.5cm以下の雑木を継続的に炭焼きに供したため,より上の径級へ進界できる雑木が存在しなかったことに起因すると考察した。疎な林床ではモミ稚樹の更新が卓越し,さらに別木としての保護が加わり,モミ林の形成がうながされた。また,同様なことがブナでも起こった可能性がある。このような人為によって誘導された森林状態が,今日残存する天城山の天然林の成立に深くかかわっていたものと考えられた。
著者
梶 幹男 澤田 晴雄 五十嵐 勇治 仁多見 俊夫
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.106, pp.1-16, 2001-12
被引用文献数
4

秩父山地のイヌブナ-ブナ林における17年間の堅果落下状況の推移から,イヌブナ,ブナともに2年に1回程度結実(総堅果落下量≧20個/m2)することが明らかになった。最大総堅果落下量はブナで992.4個/m2(1993年),イヌブナで943.9個/m2(1988年)であった。ブナおよびイヌブナの豊作年(総堅果落下量≧100個/m2)には明瞭な周期性は認められなかった。両種の豊作年が重なるのは2.3~3回に1回程度であると推定された。ブナとイヌブナの豊作年における平均健全堅果率(健全堅果量/総堅果落下量)は,イヌブナの方がブナよりも有意に高かった。同じく豊作年における両種の平均虫害堅果率(虫害堅果量/堅果落下量)はイヌブナよりもブナが有意に高かった。豊作年における総堅果落下量に占める潜在健全堅果量(健全堅果量+虫害堅果量+鳥獣害堅果量)の割合は7割程度で,平均値は両種間で有意な差がなかった。また,潜在健全堅果量に占める虫害堅果量の割合,すなわち虫害堅果率の平均値はブナがイヌブナよりも有意に高かった。これらのことから,ブナの健全堅果率が低い原因は同種の虫害堅果率が高いことによるものといえる。両種の豊作が同調した1993年と2000年の虫害堅果の落下時期はブナの方が早い傾向にあった。その原因として,ブナ堅果がイヌブナ堅果に比べて,早く成熟時の堅果サイズに達することによるものと推察された。ブナの虫害堅果落下時期は6月初旬~8月初旬および10月中旬~10月下旬に二つのピークが認められた。ブナの虫害堅果落下時期が二山型を示す現象は,東北地方と栃木県高原山においても観察されており,少なくとも東北地方から関東地方に広くみられる現象である可能性が示唆された。ブナ,イヌブナ堅果に共通する主要食害者としてブナヒメシンクイが重要であることが示唆された。日本海側に比べて太平洋側のブナの虫害堅果率が高い原因として,後者は冬期寡雪であることおよびイヌブナとブナが混生しており,両種の豊作年が必ずしも重ならないことが重要であると推論された。In order to investigate the long-term fluctuation of the seed production of beech species, the amounts of fallen nuts of Japanese beech (Fagus japonica Maxim.) and Siebold's beech (F. crenata Blume) were surveyed in sample plots of a natural beech forest in the Chichibu Mountains, Central Japan, for 17 years (1984-2000). Both of the beech species bore fruit (nuts≧20/m2) about half of the years. The maximum total fallen nuts were 992.4 nuts/m2 in Siebold'beech (1993) and 943.9 nuts/m2 in Japanese beech (1988), respectively. The mast year (nuts≧100/m2) interval was irregular. The probability when mast year of both beech species synchronize was estimated about once in 2.3-3 times of the mast year. The average ratio of sound nuts (SN) to total fallen nuts (TFN) of Japanese beech in the mast year was significantly higher than that of Siebold's beech. The average ratio of insect-damaged nuts (IDN) to TFN of Japanese beech in the mast year was significantly smaller than that of Siebold's beech. There was no significant difference between the species in the average ratio of potential sound nuts (PSN=SN+IDN+Animal-damaged nuts) to TFN. The average ratio of IDN to PSN of Siebold's beech was significantly higher than that of Japanese beech. The low average ratio of SN in Siebold's beech was mainly caused by high average ratio of IDN. The falling time of IDN of Siebold's beech nuts tended to be earlier than that of Japanese beech, as the growth of the Siebold's beech nuts is about two month faster than that of Japanese beech. As to the falling time of IDN in the synchronized mast year of both species in 1993 and 2000, Siebold's beech showed two modes at early June-early Aug. and mid Oct.-late Oct. The bimodal pattern for the falling time of IDN in Siebold's beech was also observed at Kunimi, Obonai (northern Honshu) and Mt. Takahara (central Honshu). This fact suggests that the phenomenon of bimodal insect damage on Siebold's beech nuts might be common in Tohoku and Kanto district. Pseudopammene fagivora Komai is one of the most important nut predators, for both Siebold's and Japanese beech. Larger insect damage in Siebold's beech nuts in the Pacific Ocean side in comparison to the Sea of Japan side, might be caused by the two factors that there are much smaller snow in winter and that mast year of two beech species is not always synchronize each other.
著者
熊谷 明子 塚越 剛史 田中 友理 蔵治 光一郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.103, pp.1-20, 2000-06
被引用文献数
2

千葉県南部に位置する東京大学千葉演習林内の山地小集水域において渓流水の水質を降雨イベント時に観測し,流量の変動に伴う水質の変動を検討した。渓流水の流量と濃度の関係を整理した結果,分析対象とした主要溶存イオンは次のような4つのグループに分けられた。NO-3は,流量と正の相関をもつ。平水時の渓流水濃度,林内雨濃度が低いことから土壌に多く存在していると考えられる。Na+,Mg2+,Ca2+は,流量と負の相関をもつ。主に基岩の風化を起源にするために,土壌水中より渓流水中で濃度が高く,流量の増大に伴い濃度が減少したと考えられる。K+は,やや負の相関をもつが,ばらつきが大きい。林内雨,土壌水,渓流水中の濃度差が少ないために流量に対する渓流水中の濃度変動は現れなかった。Cl-,SO2-4は,降雨イベントによって異なる挙動を示す。Cl-は10月の降雨イベントにおいて,台風によって輸送された海塩の影響が現れていた。SO2-4は流量と負の相関をもつが,7月降雨イベント前のみ低い値であった。このように渓流水質の各イオン変動特性の違いは各イオンの流出経路やその特性を反映していると考えられる。In order to examine the relation between the stream discharge and water quality of small mountainous watershed, we intensively sampled the forest stream water during and after several rain events. This study was conducted in the University Forest in Chiba, the University of Tokyo in the south of Chiba prefecture. The effects of rapid stream discharge increase on the ion concentrations was devided into four groups. NO-3 increases in concentration. Na+, Mg2+ and Ca2+ were diluted. K+ showed no much significant correlation with discharge. Cl- and SO2-4 showed different responses depend on rain events. This results suggest that the differences between groups reflect the different distribution of sources and generation processes of the ions.
著者
藤田 直子
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.116, pp.193-251, 2006

本論文は,2006 年に東京大学に提出した学位論文の前半部分であり,後半における現状の実態分析及び評価のための概念整理と位置づけることができる。本研究の立脚点は「緑地」という視点を通して時間的な軸と空間的な軸から社叢空間を捉えようとするところにある。本論文は五章で構成されており,各章は以下の通りに位置づけられる。第1章においては,本研究の背景と目的ならびに位置づけを明らかにした。まず,問題の所在,本研究に反映させる問題意識を述べ,関連する研究の流れや位置づけを通覧し,それぞれの研究のアプローチ及び方法論を整理することによって,本研究の位置づけを試み,その目的及び方法を明らかにした。設定した本研究の目的は,社叢を緑地という視点で評価することの意義と妥当性を明らかにすることとし,具体的には①空間に対する認識の変遷を「自然」との位置づけの関係から分析することで,日本人の自然に対する空間概念形成を明らかにすること②“神社の屋外空間”を指して用いられる「社叢」「鎮守の森」「社寺林」といった類義語を比較して各々の言葉の意味や意義を分析することにより,同一の空間に対して複数の言葉が用いられる原因とその背景にある意図を明らかにし,神社のオープンスペースに対する緑地の空間概念の差異と特徴を明らかにすること③法の成立・運用における「社叢」の概念及び位置づけを明らかにすることにより,“神社の屋外空間”と“社叢”の空間概念を明確にすること以上の3点を研究目的とした。第2章においては,文献資料調査によって自然・神道・社寺など社叢に関連する歴史や事象及び語彙を明らかにし,本研究において『社叢』を対象とする意図を明らかにした。まず,自然に対する神道の空間認識と日本人の自然に対する空間概念との関係を明らかにするために,分析対象記事(該当記事4,159)を文献(該当文献555)から選出し,神道の空間認識における「自然」の位置づけの変遷や日本人の自然に対する空間の認識の関連を言葉の解釈の変遷や西欧との比較を踏まえて分析した。その結果,日本における自然の概念と神道の精神や空間認識は通じるものが多く,自然に対する神道の空間認識が日本人の自然に対する空間概念の形成に関与していたことが明らかになった。第3章においては,“神社の屋外空間”を指して用いられる類義語に対し,語彙自体の使用の変遷を明らかにするための書籍・論文出現頻度に関する分析と語彙が想定する対象を広く収集分析する語彙の概念に関する分析を組み合わせることによって,量的側面と質的側面の双方から実態を明らかにし,神社のオープンスペースに対する緑地の空間概念の差異と特徴を明らかにした。その結果,数値分析処理による包括的な傾向として「社叢」「鎮守」「社寺」と「森」や「林」といった語が組み合わされる傾向が強まったのは1970 年代中盤以降であり,この時期を契機として“神社の屋外空間”を「緑」の空間として認識しようとする見方が形成された事が示唆された。また,「鎮守の森」や「社寺林」が,元々“聖なる場”や“神社や寺院”などの意味をもつ「ある空間」に対して自然や緑地といった概念を加えることで成立してきた空間概念であるのに対し,「社叢」は元来からそれ自体に自然や緑地といった概念を含む空間概念であることが分かった。また,各々の言葉が対象とする空間概念の範囲に関しては,「社叢」が指し示す空間概念には神社境内内森林の生物生息空間,特に植物生態学的側面に着目するという空間概念が強いこと,「鎮守の森」が指し示す空間概念には古来から地霊をまつる聖なる空間やその神に対して用いられてきた語が生態学的研究対象として地域の本来の潜在自然植生が顕在化している場所として着目されたことなどにより,神社の空間のみならず精神的・文化的な拠り所という広範囲な解釈として捉えられている空間概念が強いこと,「社寺林」が指し示す空間概念には明治期の土地政策・林野政策の中での位置付けに対して用いられた歴史を経て,機能面や制度に着目した場合や現物の空間を表現する場合の対象となる空間に対して求められた空間概念が強いことが示された。第4章においては,「社叢」という言葉の意味や使用されてきた意義を明らかにするために,雑誌史蹟名勝天然紀念物における全記事中,社叢・神社・社寺・及び関連記事を選出して分析対象とし,史蹟名勝天然紀念物保存法の成立・運用の過程における社叢というものの位置づけや,社叢という言葉の使われ方の変遷を分析した。その結果,「社叢」が史蹟名勝天然紀念物保存法の要目の筆頭に採用されたのは,単に植物学・生態学上優れた森林としてのみならず,社叢を複合された価値を有する場として保存していく必要があるという意識と,当時巻き起こった神社合祀令への反対とが相まった結果であることが明らかになった。更には,その後時代を経るにつれ「社叢」という言葉に含まれる意味は変化してゆき,それに対する複合的な意味合いは消え忘れられ,次第に原始林に準ずる森林かつ神社に所属するものを「社叢」として指すようになったことが明らかになった。第5章では,第2章から第4章の結果をまとめるとともに本研究の結論を述べた。以上の研究から本論文では,神社の屋外空間に対する空間概念を明確化しその空間を表現するに相応しい語彙が示されたことで,意味的側面から神社の空間を緑地という視点で評価することの意義と妥当性を明らかにした。なお次報においては,都市における社叢の実態を明らかにするために,東京都区部を対象にマクロ・メソ・ミクロの異なる3つの空間スケールを設定し,現地調査と数値情報をもとにGIS を用いて定量的に都市の社叢を分析した研究結果を著すると共に,本研究における結論を述べる。
著者
石田 健
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.105, pp.91-100, 2001-06
被引用文献数
2

東京大学秩父演習林の中に開通した国道140号線の施設が、演習林とその周辺のツキノワグマ個体群に与える影響を評価するために、隣り合う滝川流域と入川流域において、ミツバチを誘引餌としたドラムカン製捕獲器でクマを捕獲した。 捕獲個体の体重や体調を記録した。大型個体には首輪式の発信機を装着して、行動圏を調べた。1991年から1999年の主に夏季にツキノワグマの58個体を136回捕獲し、23個体の成獣に34個の電波発信機を首輪で装着して行動圏を調べた。1993年から1995年における行動圏の調査結果から、調査地で繁殖していたと推定される6~8頭の雌の成獣は7~8平方キロに1頭ていどの密度で生息していると推定された。調査地内で秋の堅果がすべて凶作の1992年に、発信機を装着した雄の1頭が直線で約9キロ離れた塩山市一ノ瀬で射殺されたことが確認され、1993年には国道周辺の滝川地域で雄の成獣が1頭も捕獲されず、1994年には同地域で未成熟の雄が捕獲されただけだった。 国道140号線が施設されていたために滝川流域での雄の成獣の生息個体数の回復が遅れた可能性があると考えられた。演習林内にあるトンネルが生息地の分断効果を和らげる重要な機能を持つことを示唆した。
著者
竹本 太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.111, pp.109-177, 2004-06
被引用文献数
1

1.目的 明治期における学校林について詳細に調べられたものはこれまでほとんどない。本稿は,明治地方自治制が生み出した,自然村と行政村の二重構造の中で,1)なぜ学校林設置が導入され,2)どのように普及し,3)どのような役割を果たしたのか,を明らかにする。2.方法(時期区分)市制町村制により合併町村が行政村としてあらわれた時期から,日露戦後の地方改良事業を通じて行政村が定着していったとされる時期までを研究の対象とする。ただ,それ以前から学校林は設置されているため,学制発布から市制町村制までを前史として扱うことにした。第1~5期については,明治政府の学校林設置施策の変化を追う形で区分した。まず,学校基本財産制度が始まった地方学事通則制定以降を第1期とし,次に,文部省からの「学校樹栽日」通達以降を第2期とした。さらに,国有林野法による小学校基本財産への不要存置国有林野売り払いをはじめとする一連の動きを第3期とし,その中でも特に日露戦争を機に普及した学校林設置を第4期とした。最後に,地方改良事業に伴う部落有林野統一を通じて学校林が設置されていく時期を第5期とした。この期間における学校林設置を,収集した資料をもとに,1)設置政策の変遷,2)設置の実態,から明らかにする。This paper intends to clarify 1) why school forests were introduced, 2) how they have spread and 3) what kind of role they played, in the dual structure of natural villages and administrative villages, which the Meiji local autonomous system produced. In the very early period (from 1872 to 1889), school paddies and school forests were introduced as a way of making generating school funds. Though most of them were set up on lands owned by natural villages, some of them were set up on lands sold by the Meiji government. In this period the number of school paddies was larger than that of school forests. In Aomori Prefecture especially, school paddies developed rapidly.
著者
YOKOTA Shun-ichi
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.165-171, 1956

It is natural that butt rot fungi should invade healthy trees through scars on the trunk. Besides, one of the modes of infection and propagation of butt rot was discovered by dissecting in detail decayed butts and roots of Sakhalin fir (Abies sachalinensis MAST.) grown in the natural forest in the Tokyo University Forest, Hokkaido.
著者
吉本 昌郎 信田 聡
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.91-139, 2001

トドマツ水食いについて,製材途中,製材後の供試木について観察をおこなった。水食い材は節,樹脂条,入り皮など,なんらかの欠点とともに現れることが多かった。これから,石井ら17)の指摘しているように,水食い材では節,樹脂条,入り皮など,なんらかの欠点がもとで無機塩類や有機酸が集積し浸透圧が上昇することで含水率が高くなっているということが考えられた。特に,樹脂条が節に近い年輪界に多く生じ,そのような個所で水食い材の発生が顕著であった。このことから,風や雪,択伐の際に枝にかかる応力により年輪の夏材部と春材部の間に沿って破壊によるずれが生じ,そのような個所に樹脂条が形成される際に無機塩類や有機酸の集積がおこり,浸透圧が上昇するのではないかと推測した。トドマツの気乾試験体,生材試験体についてJIS Z 2101-1994に準拠した,曲げ試験を行い,曲げ強さ,曲げ比例限度,曲げヤング係数が水食いの存非により影響を受けるか否かについて調べた。結果は気乾試験体では曲げ強さ,曲げ比例限度,曲げヤング係数といった値は非水食い試験体の方が大きい傾向があったが,統計的な差は存在しなかった。生材試験体では曲げ強さ,曲げ比例限度,曲げヤング係数といった値は全体的に著しく減少しており,水食い試験体と非水食い試験体の比較では気乾試験体とは逆に,水食い試験体の方が大きい傾向があった。しかし,これにも統計的な差は存在しなかった。トドマツの気乾試験体,生材試験体についてJIS Z 2101-1994に従った,縦圧縮試験を行い縦圧縮強さが水食いの存非により影響を受けるか否かについて調べた。結果は,統計的に有意な差は存在しなかった。トドマツの気乾試験体,生材試験体についてJIS Z 2101-1994に従った,せん断試験を行いせん断強さが水食いの存非により影響を受けるか否かについて調べた。結果は,統計的に有意な差は存在しなかった。水食い材,非水食い試験体の間に強度の有意差が存在しなかったということは,水食い材であっても,乾燥に十分気をつければ,非水食い材と同様の使用が可能であることを示唆している。現在の状況では水食い材は製材用とはならず,パルプ用としてチップとなるのが普通である。一部の製材工場では水食い材からでも構造用材ではないが,建築用材として土留め板などを採材しているところもあるが,あくまで一部の工場でしかない。今回,水食い材は,非水食い材に比べ,強度の低下が存在しないか,存在したとしても小さいものであることがわかった。したがって水食い材は構造用材などとして有効な利用を目指すことができる。
著者
岩出 亥之助 福住 俊郎 柳川 林八
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.111-126, 1952

シイタケは或る種の木材腐朽菌に対して抗菌現象を示し,特にカミウロコタケに対して明瞭である。その状態は培養基の組成によつて違つてくる。また培養基のpHもこの現象に対して影響があり,pH3.6に於いてシイタケは他菌に対して最高の抗菌力を現わす。
著者
斎藤 馨 藤原 章雄 藤稿 亜矢子 YANO Akiko OKAMOTO Takuya
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.116, pp.267-281, 2006-12
被引用文献数
1

東京大学秩父演習林では、1995年より2台の森林映像記録ロボットカメラによる森林景観のビデオ記録が続けられている。定点定時の記録動画と音声は、森林の日々の様子を直感的に感ずることのできる環境学習コンテンツになると考えた。本研究では、小学校の総合学習において、環境教育の映像教材を利用する可能性のある3年生以上の小学生を視聴者と想定し、2003年1月6日から2004年1月5日の1年間の森林映像データと気象データをデジタル化し、24節季72候の暦に従って、候単位で映像記録をとりまとめたデジタルコンテンツを試作した。メディアは、1候を1枚のカードにレイアウトデザインした印刷物とPDFファイル、1候を1チャプターとして日々の映像と音声、及び気温の時間変化グラフを視聴できるビデオ再生画面レイアウトをデザインしたDVDを作成した。またPDFファイルとDVDファイルをダウンロードできるWebサイトには、森林映像記録ロボットカメラについて視聴者に理解できるように平易な文章で解説を掲載し、デジタルコンテンツを配信できるようにした。試作を通じて、印刷物とDVDを一緒に視聴することで、印刷物を見ながらDVDで映像を選択して視聴する方法や、逆にDVD映像を見ながらその前後をカードで一覧するなどの使い方があることが分かった。森林の日々の様子を擬似的にでも感じる際に、印刷物とDVDとが相互に補完するメディアとしてデザインすることが必要だと思われる。本研究での試作を通じて明らかになったデザインを踏まえ、さらに洗練したデジタルコンテンツを新たに制作し、森林環境の変化を子供達が感じ取れるデジタルコンテンツの評価実験を小学校の教員との共同で進めたい。
著者
加賀谷 隆
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.82, pp.p157-176, 1990-02
被引用文献数
7

1.本研究では,東京大学秩父演習林内の小渓流において,渓畔林中の優占樹種2種の分解速度をリターバッグ法によって測定し,大型無脊椎動物,特にシュレッダーとの関連をあきらかにした。1986年11月19日に,フサザクラ,チドリノキをそれぞれ封入した粗メッシュ,細メッシュのリターバッグを,渓流の淵,よどみの部分にしずめ,4ヵ月,6回にわたって4個ずつ回収した。2.フサザクラ,チドリノキの分解速度は,これまでに報告されてきた樹種とくらべて,おそい部類(k<0.005)に層していた。また分解速度は,粗メッシュ,細メッシュともに,フサザクラのほうがチドリノキよりも大きかった。メッシュサイズによる差は,フサザクラでは有意であったが,チドリノキではそうではなかった。窒素含有率は,2種の落葉とも分解とともに次第に増加していく傾向がみられた。3.リターバッグにコロナイズしていた大型無脊椎動物は,シュレッダーのみならず,コレクターやプレデターも多かった。しかしコロニゼーション過程は,摂食機能群間でことなっていた。シュレッダー中で,個体数・現存量ともに優占種であった分類群は,クロカワゲラ科であった。4.シュレッダーのリターバッグへのコロナイズ密度は,フサザクラでたかい傾向がみられたが,他の機能群では樹種間の差はみられなかった。このことは,シュレッダーがこの2樹種に対して選好性の差異を示したのは,食物としての差にもとづくものであることを示唆している。5.シュレッダーの現存量は,2樹種とも粗メッシュバッグのほうが細メッシュバッグよりも大であったが,メッシュサイズ間での有意差は,フサザクラのみでみとめられた。この関係は分解速度のそれに対応しており,シュレッダーの現存量の大小が分解に影響をおよぼすことの証拠がえられた。密度では,メッシュサイズ間で有意差はみとめられなかった。1. Decomposition rates of autumn-shed leaves of two tree species were determined using two kinds of mesh size bags in a mountain forest stream in the Tokyo University Forest in Chichibu, Saitama Pref., Japan. Coarse and fine mesh bags of Euptelea polyandra (Eupteleaceae) and hornberm maple Acer carpinifolium (Aceraceae) were placed in pools or alcoves in late-November 1986, and sampled over a 119-day period. 2. Decomposition rates of the two species were classified as category "slow" (k<0.005). Euptelea leaves showed faster processing rates than Acer leaves in both mesh bags. Euptelea leaves in coarse mesh bags had a significantly faster rate (1.5 times) than fine mesh bags, but the rates of Acer leaves in both mesh bags were not significantly different (1.1 times). Percent nitrogen content of leaves of both species gradually increased through the experimental period. 3. Colonizing macroinvertebrates of leaf detritus were mainly composed of shredders, collectors and predators. Colonization patterns of these functional groups were not the same. Dominant shredder taxon in both numbers and biomass was Capniidae spp. 4. Mean density of shredders in Euptelea bags was significantly higher than that in Acer bags, while other functional groups showed similar densities on both leaf species. This indicates that the difference of shredder densities on two leaf species must be due to the difference of food preferences of shredders in leaf species, not to other factors, e.g. substrate suitabilities in leaf species. 5. Mean biomass of shredders per leaf weight in coarse mesh bags was greater than that in fine mesh bags in both leaf species (Euptelea: 2.2 times, Acer: 1.3 times), but a significant difference in both mesh bags was found only in Euptelea bags. Comparison of the decomposition rates and colonized shredder abundance of two bag types demonstrates that shredder abundance, if expressed as biomass, was the important factor in determing decomposition rates of leaf detritus in this stream.
著者
竹本 太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.116, pp.23-99, 2006

1. 研究の目的 学校林をめぐる共同関係は「財産」を基底にした「財産共同関係」として明治後期から大正初期にかけて誕生し,その後,昭和戦前期における「愛郷」の普及によって種々の「愛郷共同関係」に拡張したので,すでに入会集団とは異なるものに変容していると考えられる。これを前提として,昭和戦後期・現代における研究の目的を次のように設定し,かつ,森林利用形態論における学校林の位置づけを,目的2)に関連させて論じた。目的1) 天皇制支配の手段として戦前に全国的な展開を見せた愛林日や学校林造成が,戦後に植樹祭や学校植林となって継続した経緯および理由を明らかにする。目的2) そうして戦後に引き継がれた学校林およびそれをめぐる共同関係の地域社会における存在価値を,昭和の町村合併に伴う林野所有の移動から説明する。目的3) 合併を経て地方自治体制が整備されるなかで学校林が消滅,衰退する経緯と,里山保全や環境教育の場として展開し始めた現在の状況を明らかにする。2. 考察1) GHQ/SCAP の立場から考えると,急激な民主化と分権化によって引き起こされる社会不安への対応として愛林日や学校林を位置づけていたと思われる。まず1 点目は絶対的な存在としての天皇を失うことにより国民のあいだに生じる不安であり,そして2点目は農地改革に引き続く山林解放を恐れることにより山林地主のあいだに生じる不安であった。それゆえ,愛林日の復活は天皇を国土復興に担ぎ上げることによる1 点目の不安の払拭であり,学校植林運動の開始は一連の「挙国造林に関する決議」などと同様の造林奨励による2 点目の不安の払拭であった。 しかし,その払拭を実際に思いついたのはGHQ/SCAPではなく山林局(1947年4月より林野局,1949年5月より林野庁)官僚や森林愛護連盟であった。戦前の組織やシステムを維持することに対してGHQ/SCAP は少なからず抵抗するはずで,林野官僚や関係団体は愛林日や学校林を提案する際に次の2点を工夫する必要があった。1点目は愛林日や学校林がそもそもは米国の行事に由来することを主張することであり,2点目は天皇制支配の手段として用いられた過去を「緑化」というイメージにより刷新することであった。 一方で,急激な民主化と分権化により財源の確保も不十分なままに森林管理や校舎建築といった公共事業を一手に引き受けることになった地域社会の立場から考えると,心理的な基盤としては天皇参加の愛林日による国土復興に向けた一致団結が必要とされ,物理的な基盤としては学校林造成による校舎建築財源の確保が必要とされた。その結果,敗戦により「愛国」の箍を外された「愛郷共同関係」が紐帯を自生的に強めることになった。 このようにGHQ/SCAP,林野官僚および関係団体,地域社会のそれぞれの思惑が絡み合いつつ,愛林日が復活し,第1次学校植林5ヵ年計画が開始した,といえる。2. 考察2)町村合併に伴う学校林の所有移動は,無条件もしくは条件付で(すなわち学校林として維持することを条件に)新市町村に統一されるか,さもなくば前町村が財産区を設置して財産区有林の一部として学校林を管理経営するものが多かったのであろう。しかし,学校と地域社会との関係は一様ではなく非常に複雑なものがあらわれる。松尾財産区の学校林は,まず財産区有林のすべてが学校林であるという点,次に松尾を含む複数の前村組合を単位にする旧財産区有林のなかに学校林があるという点,において特殊である。学校林は,実際に植林,管理経営し,その収益を享受した体験をもつ住民や児童生徒にとって,旧財産区とは別に新財産区を設置してでも管理経営するべき存在であったと考えられる。高瀬生産森林組合有の森林は,部落有林野を統一し官行造林を実施した経緯をもつ高瀬村の村有林から成り立っている。まだ新財産区制度が導入される前の町村合併において全戸住民を権利者にして設立した任意団体,高瀬植林組合の性格が高瀬生産森林組合にそのまま受け継がれている。学校林は同生産森林組合にとって部落有林野統一と官行造林の契機となった象徴的存在である。相原保善会は,財産区,生産森林組合を設立するものの最終的に財団法人という法人格によって「地区民の公共の福祉」のための財産保全を可能にする。学校林は「地区民の公共の福祉」のため最初に設置された財産であった。町村合併に伴って財産の移動が検討されるとき一般的にみれば部落有に分解するベクトルと新市町村有に統一するベクトルが同時に働く。これに対して,「愛郷共同関係」は学校林が児童生徒や地区全戸によって管理経営されてきたことを訴える。すなわち「地区民の公共の福祉」というベクトルを掲げる。そして財産区,生産森林組合,財団法人などの制度的な外形を与えることによって「財産共同関係」を固定化し,自然村から自由を奪うと同時に新市町村への統一を防御したのである。3. 考察3)日本はGHQ/SCAPからの独立を果たし,朝鮮戦争をきっかけにして高度経済成長を開始する。この時期に第2次学校植林5ヶ年計画がはじまるが,もはや財産としての学校林を国策として奨励する必要はなくなっていた。合併により前町村が学校設置主体としての権限を失っていくだけでなく,義務教育費国庫負担金などの補助金制度によって中央から地方への統制が復活したである。新市町村にとって学校整備に必要なものは補助金であって地域社会の力ではなかった。そのため,残像としての「緑化」が以降の学校植林運動を牽引せざるを得ない。全国各地に出現する「基金条例」にみられるように財産としての学校林は1960年代から1970年代にかけてフェードアウトしていった。 そして,1970年代以降,世界的に自然環境の悪化が危惧されるなか,国内においても里山保全や環境教育の場としての学校林に対する関心が高まり始める。そして1990年代後半より2000年代前半にかけて市町村,都道府県,国レベルで学校林に関する施策が開始されるようになる。飯田市における「学友林整備事業」はその典型例であった 4. 森林利用形態論における学校林の位置づけ 直轄利用形態の変容という観点から町村合併における学校林の移動について若干の考察を加えるならば,これまで川島武宜らによる森林利用形態論において直轄利用形態は,道路,橋梁,消防,学校などの公共事業への支出により,林野を管理経営する自然村が地区内における権力を維持する手段としてみなされていた。しかし学校林は不自由な直轄利用形態,あえて名づけるならば「公共利用形態」とでもいうべきものに姿を変えた。現在も地域社会によって管理経営される学校林とは,直轄利用形態に孕まれる公共利用形態としての性格が,児童生徒や地区全戸の管理経営によって強められ,かつ,合併に伴う制度的な外形の導入によって固定化された,かなり特殊なものといえるだろう
著者
鈴木 寧
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.135-156, 1948

モウソウチク竹稈の半徑方向及び高さ方向の材質變化を,比重,纖維率,曲げ強さ,ヤング率,剪斷強さについて調べ,次の結果を得た。1)緻密な維管束鞘は外皮側に偏在し,内部は柔細胞の基本組織が大部分を占めてゐる。そして,上部にゆく程,基本組織量が減少し,維管束の相對量は増加する。斯様な組織上の變化に相應し,比重,曲げ強さ,ヤング率,剪斷強さはいづれも内部から外皮部に向ひ或ひは根元から上方に向つてそれぞれ單調に増加する。表11の値は第3節間と第33節間に於ける諸性質を示すが,同時に測定範圍内での最小値最大値を與へてゐる。(圖9,15,19,21參照)An attempt was made to inquire the distribution of the specific gravity, fiber content and several values in the bamboo culm (Phyllostachys pubescens MAGEL et H. DE LEHAIE) grown at Idzu district. Results obtained by this experiment are as follows; 1. Compact fiber tissues are contained closely in the outer part of culm, while inner part is mostly occupied by parenchyma-cells. With such anatomical features, each of specific gravity, bending strength, Young's modulus and shear strength decrease monotonously from circumference to inside wall of culm.
著者
竹本 太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.114, pp.43-113, 2005-12
被引用文献数
1

1. 背景と目的 明治期において小学校という契機により自然村=村落共同体が行政村内部に新たな共同関係を築き上げ,そこに物的基礎,すなわち学校林を集中させたが,問題は,そうして設置された学校林が現存しているという事実であり,したがって,この明治期に形成された共同関係がいったいどのようにして現在に至るまで持続されてきたのかを明らかにしなければならない。本稿では,大正期・昭和戦前期において,中央政府による学校林の位置づけが変化していくなかで,自然村と行政村の二重構造下に形成される,学校林設置,管理を担う共同関係の変容を説明することが研究の目的となる。その際に,1)包括的-個別的,2)自生的-官製的,という2軸から分類される共同関係が担う自治的機能と行政的機能の対立,融合を分析の枠組みとした。時期区分については,第1 期: 大正デモクラシー期,第2 期: 昭和恐慌期,第3 期: 国家総動員体制期という通説的な区分を用いて論じることにした。2. 第1期:大正デモクラシー期における学校林設置の衰退 明治地方自治制は,自然村,すなわち包括的-自生的組織の自治的機能を行政村の行財政に取り込むことにより辛うじて成立している不安定なものであった。そこで,それまで自然村が包括的に担ってきた自治的機能が分化し,個別的-自生的組織という新しい共同関係が築かれはじめる。御大礼記念林業の造林を担った青年会,在郷軍人会,消防組,信用購買組合,報徳社,同窓会,学友会といった団体に,そうした共同関係をみることができよう。しかし,大正期の学校林に限っていえば,御大礼記念林業における設置をみても,造林や管理の担い手は,依然として,「部落」という包括的-自生的組織(すなわち自然村)か「町村」という行政村,もしくは両者の中間形態である「学区」であり,個別的組織を見出すことはできなかった。そして,1918(大正7)年の市町村義務教育費国庫負担法にはじまる一連の国庫負担制度の導入により,教育費の管理は,国と行政村の間に置かれる問題となり,それに伴って学校林を含む学校基本財産の管理も公学資産の一部として行政村に編入され,造林についても,第一期森林治水事業における部落有林野統一条件の緩和や,公有林野官行造林法の制定により,町村に統一された部落有林野を公有林野官行造林事業により速やかに実施していくことが,学校林や記念造林による奨励よりも,山林局にとって重要な課題となっていった。このような変化により,教育行財政にせよ,林野行政にせよ,明治後期に比べて行政村の管理権が増大し,政策の焦点が国と行政村の間の行財政均衡(および行政村間の均衡)に移り,行政村と自然村の二重構造下の問題(および自然村間の均衡問題)である学校林の政策的価値は相対的に低下した。明治期から続いてきた学校林設置は,大正中期の一連の法制度改革によって一段落ついたといえるだろう。3. 第2期:昭和恐慌期における愛林日の開始と展開 1929(昭和4)年の世界恐慌に端を発する昭和恐慌が農山村を極度の疲弊に追い込んでいく。そのような背景のもと1934(昭和9)年に大日本山林会が愛林日を設定するが,それは,統治下朝鮮半島において展開された記念植樹の影響を強く受けたものであった。 統治下朝鮮半島における記念植樹や学校林設置は,単に愛林思想を普及させるだけのものではなく治山治水や木材生産を強く意識した政策であったが,自然村による自主的な学校林設置がみられた国内の事情と異なり,齋藤音作などの官僚による計画のとおりに実施され続けたものであった。1934(昭和9)年に開始した全国的な愛林日の実施団体は,市町村がもっとも多く,学校が次ぎ,青年団や消防団なども目立った。愛林日の狙いは,学校林設置による学校基本財産を造成することよりも,森林における造林を通じて愛林思想を参加者に育ませることにあった。愛林思想の普及が目的である点については,統治下朝鮮半島における記念植樹も1934(昭和9)年からの愛林日も同様であるが,官僚の計画のとおりに実施できた朝鮮に対して,国内においては林業団体による民間主導の下,取り組みやすい事業を組み入れて開始され,行政村や学校のみならず,自然村に代わって公共的な共同関係を自生的に築きはじめていた青年団,消防団といった個別的組織を介して参加者が愛林日に参加していった。愛林日における学校林作業は,天皇制国家のための思想や資源造成を参加者に意識させる重要な機会であった。4. 第3期:国家総動員体制期における学校林造成 1938(昭和13) 年4月1日に国家総動員法が公布されると,その前後から学校林に関する施策,奨励が再び目立ってくる 国家総動員法の制定にあわせて,愛林日が国家行事になり,さらに学校林の造成が大日本山林会や帝国治山治水協会,山林局によって周到に準備され,学校林の調査(5,064ヶ所,総面積37,496町歩) や,『初等中等諸学校の学林』,『山村青年読本』の出版が行われた。そしてこれらを踏まえて「小学校林造成に関する建議案」の可決が1938(昭和13)年3月10日に出された。学校林造成の本格的な実施は,1940(昭和15)年の皇紀2600年記念として26県において合計12,082町歩の学校林が造成されると,帝国治山治水協会は,学校林の普及を定款に掲げ,「国土愛護」や「愛郷愛国」を前面に出す『学校林』を出版し,学校林を通じた勤労奉仕を小学校のみならず青年および社会教育へと拡大させた。学校林造成の政策意図は,国家資源を造成することだけではなく,国家資源造成のために勤労奉仕をする担い手の育成にあったといえよう。戦争が激化し,大東亜戦争記念造林では,18,336町歩の造林が計画され,この段階に及んでは,そもそも自治的機能を果たすために財産を堅持してきた自然村までもが行政的機能を果たす組織「部落会」として制度化された。実際に学校林を造成した事例からは,農林省や中央の林業団体による奨励に対して全般的に従順な対応がとられたこと,明治期・大正初期における設置との不連続性があったこと,がみてとれた。笹子小学校学校林では,愛林日を含む年5~6回の作業に児童,青年学校生徒が動員されていたことがわかった。秋津小学校では,部落有林野の統一条件として自然村に貸し出されていた林野が,大東亜戦争記念のために学校林地として供出された。これは,国家総動員体制下の戦争記念学校林造成が新しい論理で実施されたことを示した。座光寺小学校では,日露戦争を機に学校林の規模を拡大するが,1930年代にこれを放置し,国家総動員体制になって新たに学校林を造成するようになる経緯が面積と樹数の推移からみてとれた。5. 考察 学校林設置,管理の目的から時期区分を再整理する。明治後期の地方改良事業から御大礼記念林業までの時期を,地方行財政の改良手段としての学校林の「設置完成期」とすれば,大正中期における文部,林野行財政の制度的変化によりその価値が低下する時期が「設置衰退期」となる。「朝鮮期」における記念植樹や学校林設置を参考にして全国的に展開された愛林日により愛林「思想普及期」が始まる。国家総動員体制になり,普及した愛林思想を利用した学校林造成が国策として盛んに奨励され(「造成準備期」),皇紀2600 年記念以降の戦争記念などにおいて学校林造成が本格的に実施される「造成実施期」を迎えた。大正期・昭和戦前期における学校林の設置および管理を担う共同関係の変容を,包括的-個別的,自生的-官製的という組織の特徴と,自治的-行政的という機能から分析する。そもそも,自然村と行政村の中間領域にある小学校に学校林を設置する原動力となったのは,土地および労働力を有していた自然村,つまり包括的-自生的組織の自治的機能であったが,多くの場合は,単独の包括的-自生的組織ではなく,小学校を利用する複数の包括的-自生的組織が共同して学校林を設置し,管理していた。これは,近代教育制度の導入により新たに生じた共同関係の自治的機能であったといえる。大正中期になると,地方行財政の改良手段としての学校林の価値は相対的に低くなり,学校林をめぐる自生的な共同関係はその自治的機能を減退させ,明治期から実施されてきた学校林設置はいったんここで終わりを告げる。ところが,統治下朝鮮半島などにおける愛林思想を通じた統合の経験を背景にして,国家総動員体制になると,今度は,天皇制国家の支配手段として学校林が注目される。具体的には青年団のような個別的-自生的組織が,官製的に再編されるとともに,愛林思想を普及されることにより,国家資源としての学校林を造成する担い手となっていった。さらに戦争が激化すると,包括的-自生的組織(すなわち自然村)までもが官製的な外形(すなわち部落会)を与えられ,学校林造成の担い手となっていったと考えられる。この変容を成立させた要因について若干の考察を加える。国家総動員体制下における学校林造成は,国家資源の造成そのものよりも学校林における勤労奉仕を通じて自然村の精神的基盤を国家の精神的基盤へと転化させることに主たる目的があったと思われ,国家はその転化の方法として「愛郷」=「愛国」の論理を採択し,小学生や青年団,部落会に「愛郷」と「愛国」の心的距離を縮めさせる具体的手段として愛林日実施や学校林造成を位置づけた。そして「愛郷」が孕む地域エゴから免れるため,自然村から派生した自生的組織を官製的に再編し,国家のコントロール下の「愛郷」を生み出そうとした。このような国家の意図を,急激な近代化に対する嫌悪,反動として「愛郷」を再評価する空気が蔓延していた農山村は従順に受け入れたため,「愛郷」の精神は自生的組織から官製的組織へと拡がり,さらには行政村にも影響が及んだのである。In the Meiji period (1868-1912), natural villages built up new communal relations to manage their primary schools. Sometimes, they set up forested trust lands for their schools. These were called school forests. Some school forests were managed by these regional communities. In this paper the reasons for and methods of maintaining these school forests are examined. This paper explains the functional and systematic changes in the communal relations in the dual structure of natural villages and administrative villages from the Taisho period (1912-1926) to the Showa prewar period (1926-). This dual structure was the result of the local authority system in the Meiji period.The communal relations established school forests as a self-governing function when the modern education system was introduced. Until the commemorative forestation for the Taisho Imperial accession, school forests were established for the purpose of forestation and generating school funds. From the middle of the Taisho period, however, school forests became relatively unimportant.Under the national mobilization system, which was started in 1938 and was designed to strengthen the Imperial system, central government found school forestation to be a useful tool. The young men's associations, which were set up as self-governing organizations, were promoted as administration-governed organizations and the government regarded school forests as national resources.To change such communal relations, there was the so-called "Hometown patriotism", which converted the spirit of loving one's hometown into patriotism.
著者
橋本 善太郎
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.25-97, 1997

昭和32年,自然公園法が制定され,自然公園は国立公園,国定公園,都道府県立自然公園の3種類に分類され体系化された。平成8年3月現在,国立公園は28ヶ所205万ヘクタール,国定公園は55ヶ所133万ヘクタール,都道府県立自然公園は303ヶ所195万ヘクタールに及び,自然公園全体で国土の14.1%をカバーするにいたっており,国土の自然環境保全上中心的な役割を担っている。このうち国立公園,国定公園については国が指定し,その管理も法律により行われている事からも,制度等に関する一定の評価も定着している。一方,都道府県立自然公園は自然公園体系のヒエラルキーの下位に位置していること,その指定等の管理運営も都道府県の条例により行われていることもあり,その実態すら必ずしも明らかとは言えない状況である。
著者
岩出 亥之助 福住 俊郎 柳川 林八
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
no.43, pp.111-126, 1952-06

シイタケは或る種の木材腐朽菌に対して抗菌現象を示し,特にカミウロコタケに対して明瞭である。その状態は培養基の組成によつて違つてくる。また培養基のpHもこの現象に対して影響があり,pH3.6に於いてシイタケは他菌に対して最高の抗菌力を現わす。Antagonism was observed between "Siitake" Cortinellus edodes (BERK.) SAWADA and the other wood-rotting fungi propagated on various mediums; saw dust, glucose malt extract agar and solution of malt extract. It may be concluded that antagonism of Cortinellus edodes against the other wood-rotting fungi is maximum when pH of the medium is ca. 3.6.
著者
岩出 亥之助 福住 俊郎 柳川 林八
出版者
東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林
雑誌
東京大学農学部演習林報告 (ISSN:03716007)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.111-126, 1952

シイタケは或る種の木材腐朽菌に対して抗菌現象を示し,特にカミウロコタケに対して明瞭である。その状態は培養基の組成によつて違つてくる。また培養基のpHもこの現象に対して影響があり,pH3.6に於いてシイタケは他菌に対して最高の抗菌力を現わす。