- 著者
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内村 和至
- 出版者
- 明治大学人文科学研究所
- 雑誌
- 明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
- 巻号頁・発行日
- vol.57, pp.1-23, 2005-03
私はここしばらく国学の問題圏を巡っているが、国学史においてはどうにも契沖の座り心地がよくないような気がしてならない。と言っても、現在、国文学研究の枠内では春満などよりも契沖を重んじるのが普通である。つまりは、芳賀矢一の所謂「日本文献学」の始祖として契沖を位置付ける見方である。それに異論はないが、契沖が国学思想史とどう関連するのかは、実はそれほど明瞭に論じられてはいないように思う。言うまでもないが、思想史的連関とは、師弟関係や交友関係に還元されるようなものではない。つまり、契沖と国学の関わりは、契沖が下河辺長流を継いで『万葉代匠記』をものしたとか、水戸学派とつながりを持っていたといった水準で済まされる問題ではないということである。