著者
瀬川 裕司
出版者
明治大学教養論集刊行会
雑誌
明治大学教養論集 (ISSN:03896005)
巻号頁・発行日
no.354, pp.85-100, 2002-03

オーストリアではじめて映画が有料公開されたのは、1896年3月27日、ウィーン一区ケルントナー通り49番地でのことである。パリのグラン・カフェでリュミエール兄弟がシネマトグラフを発表したのは、前年の12月だった。三ヶ月後、兄弟は自社の上映装置とフィルムをもたせて、部下のウジェーヌ・デュポンをウィーンに派遣した。上映は午前10時から夜の8時までノンストップでおこなわれた。料金は50クロイツェル、映写されたのは「パリのコンコルド広場」「鉄道」「海」等の今日でもよく知られている短編である。デュポンらはウィーン到着後、フランス大使館や各種教育機関等で何度も試写をおこなった末に、ようやくその場所での上映許可を得たのだった。

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こんな論文どうですか? オ-ストリア映画史(1)-最初期から第一次世界大戦まで-(瀬川 裕司),2002 http://id.CiNii.jp/GC6HM
こんな論文どうですか? オ-ストリア映画史(1)-最初期から第一次世界大戦まで-(瀬川 裕司),2002 http://id.CiNii.jp/GC6HM
こんな論文どうですか? オ-ストリア映画史(1)-最初期から第一次世界大戦まで-,2002 http://ci.nii.ac.jp/naid/120001441259

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