著者
星野 高徳
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.6, pp.179-201, 2009-02

吉田正樹教授退任記念号論文本稿では,大正・昭和初期の東京において,資源回収業が民間事業として存続した要因について考察する。元来,再生資源の回収と塵芥の処理はほぼ同様の事業主体,業務内容で行われていたが,明治33年に汚物掃除法が施行されると,塵芥処理が市の責任で行われるようになったのに対して,資源回収業は依然として民間業者によって担われた。これまで資源回収業に関しては,主にスラム研究,貧民調査との関係から考察されることが多く,資源回収業の収益環境については1970年代の物価変動期や1990年代の行政回収に関するものに集約される。本稿では,これまで戦後の一時点を対象として行われてきた資源回収業者の収益環境に関する分析を戦前期にまで拡大することによって,業界全体の変容を明らかにするとともに,静脈産業の成立・存続要因に関して再生資源価格の上昇・低下以外の要因にも言及する。まず,資源回収業と塵芥処理業の関係の変化について,明治33年に施行された汚物掃除法の影響を中心に見ていき,資源回収業と塵芥処理業の役割が分離していく過程を明らかにする。続いて,明治後期から大正期にかけての衛生関係の法規制の影響と第1 次大戦前後の好不況期における資源回収業者の収益環境の変化に言及する。最後に,第1 次大戦後に再生資源価格が暴落した後も資源回収業者は屑鉄,アルミニウム,硝子,セルロイドなどの回収を重視しながら,民間事業として存続していたことを明らかにする。本稿では,資源回収業の収益環境や法令について,東京市の公文書や『都新聞』,『読売新聞』,『鉄と鋼』などの新聞・雑誌記事を主要資料として論じる。

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