著者
萩原 里紗
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.19-35, 2012-08

論文女性の生活満足度・幸福度は, 結婚・出産の前後でどのように変わっていくのであろうか。そしてその時, 所得, 時間配分の変化によって生活満足度・幸福度の間でどのような違いが生じるのであろうか。これらの問いを明らかにすることが本研究の目的である。現在, 晩婚化・非婚化や少子化が問題になっているが, これらは結婚・出産をしても, 生活満足度・幸福度が必ずしも高まるとは限らないことが原因の一つであると考えられる。本研究は, まだ明らかにされていない生活満足度・幸福度の結婚・出産前後の変化や, 結婚・出産前後の各時期におけるその要因を, 同一個人の生活満足度・幸福度を追跡調査したパネルデータを用いて分析し, どのような場合において, 結婚・出産を通じて生活満足度・幸福度を高い水準に維持できるのかを明らかにする。また, 結婚・出産時に生活満足度・幸福度は一時的に変動するが, いずれはセットポイントの水準に戻るというセットポイント仮説も検証する。 分析の結果, 結婚・第一子出産それ自体による生活満足度・幸福度への影響は, 他の要因をコントロールしても, 残り続けることがわかった。このことから, 生活満足度・幸福度は, 他の要因からも影響を受けているが, 結婚・第一子出産それ自体から強く影響を受けていることがわかった。また, 理論モデルで予測したとおり, 女性の生活満足度・幸福度に対して, 等価所得, 女性本人の余暇時間, 夫の家事・育児時間は正の影響, 一方, 女性本人の労働時間は負の影響を与えていることがわかった。最後に, 結婚・第一子出産の両方において, セットポイント仮説が示すようなセットポイントの水準に生活満足度・幸福度が戻るという統計的に有意な結果は得られなかった。How do female's life satisfaction and happiness change before and after marriage andchildbirth?And how do income and time allocation influence female's life satisfaction and happiness?In this paper, in order to answer these questions, we employed the fixed effect model by using JPSC panel data.According to our research, we found that marriage and childbirth have a strong effect on these two subjective indicators. We also found that female's life satisfaction and happiness are affected by income and time allocation. And, we cannot confirm that the set point theory is valid from our research using Japan's data.
著者
樋口 美雄 佐藤 一磨
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.15-36, 2015-04

論文挿図表本稿の目的は, 国際比較可能な雇用統計・賃金統計を使って, 日米英独仏における労働市場の動きについて検討することである。この分析の結果, 次の14点が明らかになった。(1)2000年以降, 5か国における経済成長率は, 大きく低下し, それに呼応して, いずれの国においても雇用者数の伸びが低下した。どの国においても, 製造業では雇用は減少したが, 医療・福祉分野において雇用は増えた。(2)各国の雇用調整の速度を計測すると, ドイツを除く, いずれの国においても, 近年, 調整速度は早まっている。(3)平均労働時間の動きを見ると, 日本・イギリス・ドイツ・フランスでは過去20年間で労働時間は大きく低下したし, アメリカでも若干短縮した。(4)有期契約労働者比率の上昇は日本, ドイツ, フランスで見られる。(5)アメリカ, イギリス, ドイツ, フランスでは名目賃金, 実質賃金ともに以前に比べれば, 上昇の幅は小さいものの, 上昇を続けている。これに対し, 日本では名目賃金において大きな低下を示しており, 実質賃金でも若干の低下が長期間にわたり続いている。(6)賃金と労働生産性の伸びを比較してみると, アメリカ, 欧州諸国では労働生産性の伸びを賃金の伸びが上回っているのに対し, 日本では逆に生産性の伸びを賃金の伸びが下回っている。(7)わが国における平均賃金の低下は, 一般労働者の賃金の若干の低下とともに, パート労働者の増加によって生じている。(8)雇用の伸び率の低下と賃金の抑制は, イギリスを除く4か国で労働分配率の低下をもたらした。(9)日本やドイツでは生産年齢人口が減少した一方, アメリカでは, リーマンショック後女性や若年層において, 就業意欲喪失効果により非労働力化が進展し, 労働力率が低下した。また5 か国いずれの国においても, 高齢者の就業率は上昇しており, アメリカを除く4か国で, 女性の労働力率は上昇しているが, 若年層の労働力率は低下した。(10)5か国いずれの国においても, 大きさに差があるものの, 所得格差の拡大傾向が観察される。(11)所得階層トップ1%の人が1国全体の所得に占める比率は, とくにアメリカとイギリスにおいて大きく上昇している。(12)平均賃金格差を属性間で比較すると, 学歴間賃金格差は日本を含むいずれの国においても拡大する傾向にある。(13)男女間の賃金格差は, いずれの国においても縮小する傾向にある。(14)日本における, 同じ年齢, 学歴についての個人間の賃金格差を見ると, 近年, 拡大傾向が観察される。
著者
榊原 研互
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.43-57, 2008-10

樫原正勝教授退官記念号論文自然科学の方法の社会科学への適用可能性をめぐっては,これまで多様な議論が展開されてきたが,近年経済学や社会学において注目を集めているのが,イギリスの哲学者バスカーが提唱する超越論的実在論である。これは実在論に依拠しつつ,これまで対立してきた実証主義(自然主義)と解釈学(反自然主義)を批判的に統合しようとする試みである。この立場は,経済学ではローソンによって主流派経済学に対する批判の道具として用いられ,経営学では野中らの「知識創造理論」の方法論的基礎としても用いられている。本稿では,この批判的実在論が社会科学に実りある展望をもたらすかどうか批判的に吟味される。
著者
足立 純一郎
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.181-198, 2007-06

商学部創立50周年記念 = Commemorating the fiftieth anniversary of the faculty論文本稿は,iPod とWalkman の戦いをめぐり,カーネマン等によって展開された行動経済学による分析を行うことを目的としている。 従来,この戦いをめぐっては主に,競争戦略的な観点からの分析や,楽曲の著作権という観点での分析がなされていた。しかし競争戦略的研究をマイケル・ポーターの5 つの競争要因によって再構成し,著作権的研究をデムゼッツの所有権理論によって再構成したところ,前者では,戦略の妥当性をはかる事前の判断基準が欠如しており,後者では,理論的帰結に至るまでの経過時間に対する措置が欠けているなど,いずれも現時点での帰結を十分に説明できておらず,経営者の戦略立案に対する示唆にも乏しいことがわかった。 一方,現時点での帰結を説明するために,行動経済学の心理会計の枠組みを使って時系列・複数段階でのSony とApple の戦略を検討すると,ユーザーの選好が明確になり,なぜユーザーがiPod を選択したかを理解することができると同時に,今後の政策的含意も得られることがわかった。従来,ファイナンス分野における応用が先行していた行動経済学であるが,これらの分析によって,経営戦略の分析にも有効であることが示されるであろう。
著者
前田 淳
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.39-51, 2005-02
被引用文献数
1

テイラーによるr科学的管理法」がアメリカで産声を上げたのが19世紀の終りから20世紀の初めにかけてである。この「科学的管理法」が彼が所属したミッドヴェール製鋼会社,並びにベスレヘム製鋼会社だけに留まらず,アメリカの鉄鋼産業の大部分に,さらにはシカゴの食肉包装とデトロイトの自動車産業へと普及され始めたのは1910年代のことである。またフォードがT型1車種の限定生産を挙行し,いわゆる「大量生産体制」の確立を確固たるものとしたのが1909年から1927年にかけてである。テイラーシステムとフォードシステムの内実を規定し,特徴づけるアメリカの経営経済的条件,或いは社会的条件とは一体何か。この点を数稿かけて解明することとしたい。本稿においては,テイラーシステム出現前にとりわけ東部の機械工業企業で支配的に見られた内部請負制度を取り上げ,まずその特質と意義を把握すると同時に,その解体の原因を解明した。また解体後の新たな動向についても考察を試みた。
著者
許 伸江
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.265-277, 2005-04

植竹晃久教授退任記念号東京都渋谷区の原宿地域は,最先端のファッション関連情報の収集・発信地として広く知られている。この地域は,竹下通り,表参道,明治通り,裏原宿という複合的なサブクラスターから成り立っている。原宿の産業構成を見ても,アパレル小売業のみならず,トータルファッションを支援する,靴やかばんなどの雑小売業が隣接している。また,ヘアサロンやカフェ・レストランなどの飲食店も存在し,広義のファッション関連クラスターと呼ぶことができるであろう。本稿では,インタビュー調査をベースとして,原宿地域が,文化や流行を発信する地域として独特の雰囲気を持つに至った歴史,中心産業であるアパレル産業のネットワーク構造,および都市型クラスターとしての問題点について考察する。
著者
樋口 美雄 石井 加代子 佐藤 一磨
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.59, no.3, pp.67-91, 2016-08

本稿は, 最近の公的統計や慶應義塾大学パネルデータ設計解析センターが実施した「日本家計パネル調査」を使って, 国際比較・時系列比較を行うことにより, わが国の所得格差の現状とその変化について展望することを目的とする。とくに各世帯における世帯員の就業状態・雇用形態の変化, 賃金の変化によって世帯所得がどう変化するかを追跡調査し, 所得階層の固定化, 恒常的貧困率・一時的貧困率について国際比較を行う。最後に所得格差やその原因, さらには政府の所得再分配機能に関する国民意識の違いやその変化に接近し, わが国の所得格差拡大の背景に潜む課題について考察する。分析の結果, 以下の点が明らかになった。(1)わが国の所得格差はアメリカやイギリス, オーストラリア, カナダのアングロサクソン諸国に比べると大きくないが, 他の多くのOECD諸国と同様, 近年, 拡大する傾向が見られる。(2)等価可処分所得の年齢階層別ジニ係数を見ると, 20歳代, 30歳代において格差拡大が観察されるのに対し, 60歳代後半以降の所得格差はもともと大きいものの, 近年, 年金給付の拡充により縮小する傾向にある。(3)低所得層に焦点を当てた相対的貧困率や高所得層に焦点を当てたトップ1%の人の所得占有率のいずれを見ても, ほとんどのOECD諸国でこれらが上昇する傾向にあり, わが国もその例外ではない。わが国では1997年以降, 全体の所得が低下し, 貧困(所得)線が名目にしろ, 実質にしろ, 低下するようになったが, それにもかかわらず, 貧困線以下の相対的貧困率は上昇している。(4)日仏独米英における労働分配率を見ると, いずれの国でも近年, これが低下する傾向にあるが, 日本においてはとくにその傾向は強く, 付加価値に占める総人件費割合の低下が大きい。(5)世帯主の就業状態・雇用形態別に貧困率を見ると, 世帯主が失業している世帯, 無業の世帯の貧困率は高いが, 日本においては非正規労働者である世帯の貧困率も高い。夫婦2人がそろって働いても, 2人とも非正規労働の場合, 夫だけが正規労働者として働いている世帯よりも貧困に陥っている割合は高い。多くのOECD諸国では無業世帯における貧困割合が高いが, わが国では失業率も低く, 無業世帯も少ないことも反映して, 貧困層に占める無業者世帯は少なく, 2人以上の世帯員が働いていても, それらが非正規雇用である世帯の割合が高い。(6)世帯主所得が低い世帯では, 配偶者の就業率は高く, 個人単位での所得格差よりも, 世帯単位の所得格差は総じて小さい。(7)所得階層間の移動を見ると, 前年, 貧困層にあった世帯の貧困脱出率は全体では39%であるのに対し, 世帯主が前年, 非正規労働者であった世帯, 無業であった世帯の脱出率は27%, 24%と低い。前年, 貧困層になかった世帯が翌年貧困に陥る貧困突入率は全体では3%であるのに対し, 非正規労働者であった世帯では7%, 無業世帯では15%と高い。3年間の所得観察期間中, 1度も貧困層に入らなかった比率は, OECD17か国平均値に比べ, わが国ではやや低く, 3年とも貧困層に入っていた恒常的貧困率は若干高い傾向にあり, 所得階層の固定化が観察される。こうした現象には, 主に長期にわたり非正規労働者にとどまる者が急増していることが影響している。(8)わが国では, ドイツやスウェーデンに比べ, 貧困は個人の怠惰により起こっているというよりも, 不公正な社会の結果として起こっていると考えている人はもともと少なかったが, 近年, 貧困は個人の責任というよりも, 社会の不公正により起こっていると考える人が増えた。所得格差の拡大は人々のインセンティブを高めると考える人は少なく, むしろ政府の所得再分配機能の強化や貧困対策を求める人が多い。This paper analyses income inequality in Japan by international comparison and time-series analysis using official statistics and Japan Household Panel Survey (JHPS) by Keio University Panel Data Research Center. It also achieves the international comparison of income dynamics, such as income mobility and dynamic poverty analysis, focusing on the changes of working conditions and wages. Additionally, it tries to reveal the reason why the income inequality rises, and shows the changes of people's attitudes toward income redistribution policy and poverty. The findings are followings. (1) Although the level of income inequality is not as high as those in the Anglo-Saxons countries like U.S., U.K., Canada, and Australia, as like other OECD countries, it is rising recently. (2) The income inequalities among the age of 20s and 30s are rising, and on the other hand, the inequalities among the elderly are decreasing because of maturation of pension system. (3) The income share of the poor is decreasing and that of the top 1% is increasing among most OECD countries including Japan. In Japan, after 1997, even though overall income level is getting lower and the poverty line is decreasing, the relative poverty rate is rising. (4) The labor shares are decreasing in U.S., U.K., Germany, and France. In Japan, it is sharply decreasing. (5) The poverty rates in households with no workers are high in most countries. This can be seen in Japan, and additionally, among household where heads are non-regular workers the poverty rate is high. Although there are more than two workers in households, if they are not regular employment, the probability of falling into poverty is high. (6) Among households where heads earn less, the employment rate of spouses are high. Therefore, the income disparity among households is smaller than that among individuals. (7) The overall annual exit rate from poverty is 30%, but focused only on households whose heads are non-regular employments, the rate is 27%, and where heads are jobless, the rates is 24%. About annual entry rates, it is 3 % overall. Among the households where heads are non-regular employments, entry rate is 7%, and where heads are jobless, it is 15%. The share of households which are not poor among continuously three years is low in Japan compared with other OECD countries, but the share of households which are poor in continuously three years is relatively high. This reflects the increase of non-regular workers who cannot escape from the same working conditions for long period. (8) In Japan, there are getting more people who think poverty is the way society is unfairly organized rather than it is the result of individual attitudes. Also, in Japan, there are getting more people who expect government to achieve income redistribution and poverty reduction.論文挿図
著者
伊藤 眞
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.95-119, 2007-04

商学部創立50周年記念 = Commemorating the fiftieth anniversary of the faculty50周年記念論文ライブドアの粉飾事件に関連して,会計基準等がない取引の会計処理について会計専門家はどのように考えるのか,裁判所の証人となった。証言の対象となったライブドアとクラサワ(K社)との株式交換(交換日(2004年3 月15日)は契約日(2003年11月19日)の4 ヶ月後)に関連して,まず子会社(投資事業組合を通して)が消費貸借により取得した親会社株式を売却(2003年12月2 日~19日)し,その後,株式交換日にK 社株主から親会社株式を取得(株式交換契約日(2003年11月19日)に売買契約を締結し1 週間後に前金を支払う)のうえ返還するという一連の取引について,事実関係を可能な限り明確化してみると,株式交換における交換比率の操作とそのLD株式買取契約の結果生じた含み益を実現するためのスキーム取引であることがわかる。この一連の取引について,有価証券消費貸借契約の会計処理の対象,その処理方法,民法上の任意組合の法的性格と会計処理,自己株式処分損益の性質及び会計処理,自己株式の借換えの会計処理,そして親会社株式の取得という商法違反である取引から生じた処分損益の会計処理という6 つの論点に整理した上で,各論点について歴史的経緯を含め検討した。その結論は次のとおりである。 自己株式の消費貸借については,自己株式等会計基準に基づいて考える必要があるが,その消費貸借による取得と返還自体は,金融商品実務指針に基づいて処理し,その運用損益を自己株式処分差額として処理すればよい。投資事業組合は民法上の任意組合であり,組合の積極財産は総組合員の共有である。したがって,重要性を有する組合財産及び損益であれば,出資者は科目ごとに持分相当額を取り込むべきであり,その結果,子会社は親会社株式運用益を損益計算書上取り込むことになるが,それは税引後の金額で連結修正されることによって,親会社の連結財務諸表上,「自己株式処分差益」としてその他資本剰余金に直接計上されることになる。 しかし,この一連の取引はLD が計画・実行したスキーム取引であり,仕組まれたものであると解されることから,任意組合の会計処理を適用する以前に,親会社の連結財務諸表上,「自己株式処分差益」としてその他資本剰余金に直接計上すべきものと解される。
著者
柳町 功
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.49, no.6, pp.147-158, 2007-01

赤川元章教授退任記念号韓国最大の財閥,三星の創業者・李喆(イ・ビョンチョル)が後のグループ主軸事業である電子工業に新規参入したのは,1960年代末である。当時三星は,韓国肥料事件という政治スキャンダルの後遺症に悩まされていた。肥料工場建設はかねてから李喆の悲願であったが,密輸事件の責任を取って工場は国家に寄付し,自ら経営の第一線を引退していた。その彼が経営者としての復帰とグループ再建を賭けて乗り出したのが電子工業への新規参入であった。日米の事情は電子工業の戦略的重要性を意味し,政府もまた積極的な取り組みを始めていた。李喆は,部品の自給体制に基づく完成品までの一貫生産システムを構築し,大量生産と輸出を目指すという意欲的な構想を持っていた。三星の構想に既存業界は猛反発したが,政府が生産品の全量輸出という条件を課しようやく参入が実現した。後発の三星が事業成功できた要因として技術,資金,人材の3つの面に着目できる。海外からの技術導入に依存せざるをえなかったが,生え抜き技術者の育成という意味も含め,日本からの技術吸収に貪欲なまでに取り組んだ。資金面としては,1950年代に三星は李承晩政権と緊密な関係を築き,製糖業や毛織業から莫大な富を蓄積していた。高級技術者の確保については三星内部,特に東洋放送からの異動や海外からのスカウトによるところが大きかった。最後に,李喆の企業家精神に注目したい。国策的色彩の強い中で,国益と創業者の事業欲とが一致することで事業展開が可能となった。創業者の強烈な個性やリーダーシップに主導された電子工業への新規参入は,ファミリービジネスとしての取り組みが成功した事例として評価できる。同時に,電子工業への進出には,韓国経済の比重が重化学工業へシフトしつつある発展段階に積極的に呼応しようという戦略的意思決定が存在していた。