著者
長部 悦弘 Osabe Yoshihiro
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
人間科学 (ISSN:13434896)
巻号頁・発行日
no.23, pp.167-190, 2009-03

北魏孝明帝代に勃発した六鎮の乱により混乱に陥った政局の中で、爾朱氏軍閥集団は山西地域(太行山脈以西)の中部に并州(晋陽)及び肆州を中核として覇府地区を建設し、これを根拠地とした上で、孝明帝の没後南下して孝荘帝を擁立した上で河陰の変を引き起こして王都洛陽を占拠し、孝荘帝代には中央政府を支配した。王都洛陽の中央政府を支配した方法は、尚書省・門下省の要職に人員を配置して行政を握るとともに、王都内外の軍事を掌管する、近衛軍をはじめとする高級武官の多くを占めて、洛陽の軍事を牛耳った。そして、首領である爾朱栄が代表する并州(晋陽)設置の覇府と連絡しながら、爾朱氏軍閥集団の下に王都洛陽の中央政府を置く、王都-覇府体制を構築した。北魏国家の領域内部の交通路線でみると、爾朱氏軍閥集団の王都-覇府体制を支えた中軸線は、覇府地区と王都洛陽を結ぶ太行山脈西麓東方線である。同路線を基軸に、太行山脈西麓西方線、太行山脈東麓線をはじめ、各地に構成員を送り、北魏国家の領域支配体制を建てようと試みた。

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こんな論文どうですか? 北魏孝荘帝代爾朱氏軍閥集団再論(2)-王都-覇府体制を焦点にして-(長部悦弘ほか),2009 http://id.CiNii.jp/HpppM

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