著者
長部 悦弘 Osabe Yoshihiro
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
地理歴史人類学論集 (ISSN:21858535)
巻号頁・発行日
no.1, pp.17-32, 2010

北魏孝明帝代に勃発した六鎮の乱により混乱に陥った政局を、爾朱氏軍閥集団は収拾する方向へと舵を切った。爾朱氏軍閥集団は山西地域(太行山脈以西)の中部に并州(晋陽)及び肆州を中核として覇府地区を建設し、これを根拠地とした上で、孝明帝の没後南下して孝荘帝を擁立した上で河陰の変を引き起こして王都洛陽を占拠し、孝荘帝代には中央政府を支配した。自身の本拠地である覇府地区と王都を結ぶ線を中軸線に王都-覇府体制を確立して自身が実権を握る体制を打ち立てた。小論は、その実態を解明することを目的とする。先に第1章では爾朱氏軍閥集団が各地に人員を派遣した状況を概観した。第2章では爾朱氏軍閥集団構成員の京官への任官状況と実際の駐在地を検討し、京官任官者の実際の駐在地が覇府地区と王都洛陽に2分されることを確認した上で、第3章で洛陽駐在者の王都洛陽の中央政府を支配した方法を考察した。尚書省・門下省の要職に人員を配置して行政を握るとともに、王都内外の軍事を掌管する、近衛軍をはじめとする高級武官の多くを占めて、洛陽の軍事を牛耳ったことを明らかにした。本号所載の第4章では、覇府地区の京官任官者の就任官を分析し、爾朱氏軍閥集団の首領である爾朱栄が最も高い地位を兼務していたことを考察した。爾朱栄が鎮座する并州(晋陽)設置の覇府と連絡しながら、爾朱氏軍閥集団の下に王都洛陽の中央政府を置く、王都-覇府体制を構築したことを確認した。第5章では北魏の動乱の収拾に責献した爾朱氏軍閥集団構成員の尊皇意識がその背後に働いていたことを論じた。
著者
松浦 茂 長部 悦弘 山本 光朗
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

(1)研究代表者は、満洲語档案と探検記録とによって、清朝の繊維製品がアムール川下流・サハリン地方に流入する過程と、同地域の辺民がそれを衣料その他に受容する過程を明らかにした。またそれらの一部は、この地域の交易のネットワークを通じて、周辺地域に流れたことを解明した。研究代表者はまた、満洲語档案に現れる北方の少数民族の言語をとりあげて、その意義と、それがなぜ満洲語の中に入ったかを考えた。たとえば清の漢文献においては、17世紀のアムール地方に現れたロシア人を「羅刹」と記すが、その語源は、サンスクリット語ではなくて、アムール地方の少数民族が、これらのロシア人をロチャ(ルチャ)と呼んだことに由来することを明らかにした。こうした視点は、北方史の研究に不可欠である。(2)研究分担者は、15世紀以前の北方の少数民族について、研究を行なった。金朝を作った女真は、後に中国本土に移住して、漢族と雑居するようになると、漢姓を名のることが多くなった。ただその理由はさまざまで、それにより民族的なアイデンティティーを失ったという見方は、単純にすぎるということを明らかにした。研究分担者はまた、古林・遼寧省と内蒙古自治区・山西省に分布する、鮮卑族の史跡に関する近年の報告・記事・論文を、日本と中国の学術雑誌などから拾い出して、そのリストを作成した。(3)研究代表者と分担者は、明朝がアムール川の河口に建設した奴児干都司と永寧寺について、従来の学説を再検討した。とくに永寧寺碑文の内容を吟味して、当時の交易のネットワークについて考察した。このことについては、さらに研究を深めてから発表するつもりである。
著者
長部 悦弘 Osabe Yoshihiro
出版者
琉球大学法文学部
雑誌
人間科学 (ISSN:13434896)
巻号頁・発行日
no.23, pp.167-190, 2009-03

北魏孝明帝代に勃発した六鎮の乱により混乱に陥った政局の中で、爾朱氏軍閥集団は山西地域(太行山脈以西)の中部に并州(晋陽)及び肆州を中核として覇府地区を建設し、これを根拠地とした上で、孝明帝の没後南下して孝荘帝を擁立した上で河陰の変を引き起こして王都洛陽を占拠し、孝荘帝代には中央政府を支配した。王都洛陽の中央政府を支配した方法は、尚書省・門下省の要職に人員を配置して行政を握るとともに、王都内外の軍事を掌管する、近衛軍をはじめとする高級武官の多くを占めて、洛陽の軍事を牛耳った。そして、首領である爾朱栄が代表する并州(晋陽)設置の覇府と連絡しながら、爾朱氏軍閥集団の下に王都洛陽の中央政府を置く、王都-覇府体制を構築した。北魏国家の領域内部の交通路線でみると、爾朱氏軍閥集団の王都-覇府体制を支えた中軸線は、覇府地区と王都洛陽を結ぶ太行山脈西麓東方線である。同路線を基軸に、太行山脈西麓西方線、太行山脈東麓線をはじめ、各地に構成員を送り、北魏国家の領域支配体制を建てようと試みた。