著者
服部 雅子
出版者
東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター
雑誌
アメリカ太平洋研究 (ISSN:13462989)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.112-127, 2009-03

論文Articles本稿は、トルーマン政権期の連邦民間防衛局(FCDA)が、民間防衛への市民の動員を目的に実施した一連の宣伝・教育事業に着目し、そこで将来の戦争がどう語られたかを考察する。民間防衛に関する従来の研究の多くは、1945 年の夏に原爆が開発されて以来、民間防衛は原爆対策として行われるようになった、という前提に立つ。しかしながら、民間防衛を通じて人々が描いた戦争像は、果たして原爆の登場とともに即座に変化したのであろうか。1940 年代末の米ソ対立の危機的悪化を受けて設立されたFCDAは、全国的な民間防衛体制構築のために1750 万人の市民の参加が必要であると想定し、人々に民間防衛の急務を訴えるための様々な事業に着手した。まず、各地で民間防衛の指導を担う人材の養成機関が設立され、卒業生は全米各地で市民の動員と指導に当たった。大学の研究機関や各種メディアも大きく貢献した。さらに、トルーマン期FCDAの一大事業として、1952 年に一連の「アラート・アメリカ」事業が実施された。これは、民間防衛に関する展示品を載せたトラックが全国各地に出向き、訪問先で展示行事を催す企画を中心に、人々に民間防衛への参加を促そうとするものであった。展示では、現代戦の恐怖や民間防衛の手順が、人々の五感に訴える特殊効果を駆使して説明された。以上の事業を通じ、米国本土が攻撃対象となる「次の戦争」では、敵は、原爆をその攻撃の中核としながらも、焼夷弾、細菌・化学兵器、破壊活動等を含むあらゆる攻撃手段を総動員して戦うと想定された。すなわち、市民を敵の攻撃による被害から守るべく民間防衛に精力を注いだ人々の間では、原爆の登場によって即座に戦争観が「核戦争」へと変化したわけではなかったのである。当時の人々の描いた「次の戦争」は、「核戦争」より、先の大戦の「総力戦」に近いものであった。

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