著者
倉地 克直
出版者
岡山大学大学院文化科学研究科
雑誌
文化共生学研究 (ISSN:18809162)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.137-152, 2003

最近の漂流民研究は、近世人の自他認識を考える上で貴重な成果を積み上げてきているのだが、他方では、漂流民研究が持つ根本的な問題も自覚されるようになっている。それは、漂流記の歴史史料としての問題性である。つまり、一般に漂流記録は、帰国後に漂流民を取り調べた役人や談話の聞き手が記したもので、それがどこまで漂流体験の「真実」を明らかにするものなのか、また、漂流民の意識をどこまで正しく反映しているのか、はなはだおぼつかないのである。しかも、漂流記録の作られ方によって、その問題性の性格や程度もかなり異なることが予想される。漂流記録の史料論を踏まえたうえで、漂流民の自他認識を検討することが求められる所以である。 本稿は、以上のような問題意識に基づき、文政13年(1830)に備前岡山の神力丸がフィリピンのバターン諸島に漂流した事件を取り上げる。この漂流事件の記録については、別に、史料論的な検討を行っており、本稿の記述はその作業を踏まえたものである。また、この神力丸の漂流事件については、最近、臼井洋輔の労作が発表された。 これは、現在のバターン諸島での生活と漂流記の記述とを比較しながら、主に民俗誌的な関心から漂流事件を追体験しようとしたものであり、教えられるところが多い。 本稿では、それと重複しないように、漂流民の自他認識の一旦を紹介してみたい。

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こんな論文どうですか? 漂流民の自他認識:神力丸バタン漂流事件を素材に(倉地 克直),2003 http://id.CiNii.jp/JqIEM

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